前山光則
前回も触れたように、最近は必要があって昔のことを思い出したり、調べ直したりすることが多い。それで、人吉に行ってみたりもしてきた。そんなことをやっていたら、何日か前、ちょうど良い按配に小学5、6年次の2年間一緒のクラスだったE君が立ち寄ってくれた。
そのE君が、言ったのである。
「ン? 昔のことを思い出しよるって? そう言えば、カブンサン、あんたにあだ名がついたのは小学校5年の時じゃったよなあ」
彼は、ちゃんと覚えていたわけだ。同級生としては大変嬉しかった。
「あれは、な、算数で、真分数と仮分数の違いを教わったとじゃもんねえ」
とわたしが呟くと、E君はニヤニヤして、
「そう、担任の先生が、分母よりも分子が大きい、つまり頭の方が大きいということをカブンスーと言うのです、と教えなさったんだ」
とE君。わたしも、どうしてもその時のことが忘れられない。
「そしたら、俺はあの時、教室の一番うしろの座席に坐っておったとばってん、みんながサーッと俺の方を振り返ったもんなあ」
しかし、彼はわたしが喋るのを聞きながら、首を傾げた。わたしとしては、ほんとに、忘れられない瞬間であった。当時、すでに頭のサイズが59センチあった。だから、運動会の時に白団・赤団それぞれの色の帽子を被るのだが、みんなが既製品を与えられて使っていたのに、わたしだけがダメだった。帽子屋さんがわざわざ来てくれて、サイズを測ってくれた。別誂えの品しか使えないことは、クラスのみんなが知っていたから、先生が仮分数の説明をした途端、一斉にわたしの方を振り返ったのだった。
ところが、E君はそこのところは覚えがないふうだった。
「いやあ、そぎゃんことまでは覚えてはおらん。しかし、寒い日じゃったよなあ」
ん? そうだったっけ。あの日はやや蒸し蒸しするくらいの夏場か初秋頃ではなかったか。わたしはそう記憶しているが、彼は、
「冬でな、雪でも降りそうな日じゃったなあ」
彼とわたしとでは、そこのところの記憶が全く違うのだった。へーえ、あの日は寒かったのか。でも、なんでまたわたしの方は蒸し蒸しする日として覚えているのだろうか。
なにしろ、あの分数に関する授業以来、わたしのあだ名は「カブンサン」。つまり、「カブンスー」の「スー」を省いて、「サン」をつければ、「カブンサン」である。今でも同級生たちはわたしをカブンサンと呼ぶ。
小学5年・6年といえば、あの2年間は別府茂實という先生が担任してくれたのだったが、前回話題にしたとおり国語の授業で有島武郎の童話「一房の葡萄」を何回も読んでくれた。無論、わたしたちにも朗読をさせた。教室だけでなく、運動場にみんなを連れ出して、グラウンドのまん中に聳え立つ楠の巨木の下で読み聞かせしてくれたことも何度かあった。それだけでなく、先生が少しずつ読んで行く、それをわたしたちは書き取りしなくてはならなかった。これも、何度もさせられた。だから、今でもあの優しい女先生と少年との心の触れ合いを描いた名作童話はわたしの頭の中に生きている。
「あの童話は、ほんと、忘れられんよな」
とわたしが言ったら、E君は、
「?」
あいまいな顔付きだ。
「ほら、国語の時間」
「ん?」
「ほら、葡萄を女先生が食べさせてくれる」
「あ……」
「外人の子と仲直りして」
「あ、ああ、うん、うん」
ようやく思い出してくれたふうであった。彼としては、どうも、あまり印象に残っていないのであった。
ところが、逆に彼が、
「高手山さんに相撲を習ったよなあ」
と、相撲道場の話をしはじめてから逆転した。いや、それはわたしだって大変良い思い出なのだ。5、6年の頃、駒井田町という町内の広場には土俵があって、そこでは夜になると高手山(たかてやま)と呼ばれる爺さんが子どもたちに相撲を教えてくれていた。なんでも、若い頃、高砂部屋に所属し、十両にまで昇進した経験があるのだそうだった。だから、高手山さんは町では有名人であった。夜間外出をさせたがらない親たちも、相撲道場に通うことだけは文句なしに許していた。
「そして、あっちこっちの祭に連れて行ってくれたよな。青井神社の秋祭りでは、化粧まわしをつけて、土俵入りもさせてくれた」
とE君が言ったので、実はわたしはビックリ。なんで彼がその高手山相撲道場のことを知っているのか、不思議だった。ところが、
「俺もあそこに行きよったじゃなかね」
彼が、目を輝かせて懐かしそうに言う。ああ、こんなに年老いてからもつきあいの続いて居る同級生なのに、わたしは、彼も一緒に高手山さんから相撲の指導を受けていたことをすっかり忘れてしまっていた。何という記憶の欠落であろうか。
「でも、あんたは水泳が得意で、全国大会にも行きよったじゃろうがね。相撲はせんじゃったろ?」
「バァカ、それは、ほれ、中学生になってからの話たい」
と、E君はわたしが相撲道場のことをあまり覚えていないことについて、それこそ憤懣まる出しに声を上げた。
「何だ、あんた、相撲道場で一緒だったことを覚えておらんとな? 情けないなあ。俺たちは、カブンサンのことは『前ノ山』と呼びよったじゃなかね」
「エッ、俺が『前ノ山』……」
「学校じゃカブンサンと呼んでも、相撲道場では『前ノ山』じゃったから」
いや、しかし、わたしの記憶にはそのような話題は一切残っていないのだ。
彼は、中学から高校にかけて水泳部で活躍し、県内での大会はいうまでもなく、全国大会にも出場していた。バタフライの選手であった。そして、社会人となってからは、会社の仕事に励むかたわらトライアスロンにも活躍の場を広げた。そのような水泳選手というか、アスリートとしての彼の勇姿が強烈で、どうもわたしの脳みそには小学5、6年次の相撲道場でのことが薄れてしまっていたのではなかろうか。でも、それはそれとしても、
「そんならたい、な、あんたのしこ名は何じゃったとね」
とE君に聞いたが、彼は表情を曇らせて、
「うんにゃ、俺は本名のままじゃった」
としか答えなかった。
同級生で、しかも長らくつきあいの続く仲でありながら、覚えていることがこのようにも違ってしまっている。不思議なものだなあ、と、わたしは妙に感心した。
でも、いやいや、そのようにも互いの記憶が隔たっていても、こうして今でも気が合う。むしろ、そのことに感謝しなくてはならぬのだなあ――なんだか、そのような思いがしみじみと湧いてくるのであった。