第417回 中神温泉にて

前山光則

 5月13日(土曜)、朝から雨。気の置けぬ友人が、
「人吉の中神温泉に行こうや」
 と誘ってくれたので、おお、良いね。雨が降るから、どうせ外では遊べない。ゆっくりと湯に浸かるのが健康だな、と、昼過ぎから一緒に出かけた。
 温泉のすぐ近くに彼の知り合いKさんがいて、その日は中神温泉の番台係をする日なのだそうだ。だから、様子を見がてら湯に浸かろうや、と友人はわたしを誘ってくれたのである。しかも、Kさんは人吉市の中神町に住んでいながら、以前から沖縄の蛇皮線を練習して来ており、すごく上手だ。だから、温泉を楽しむだけでなく、せっかくだから彼に演奏してもらおうや、と友人は言うのであった。
 わたしとしても、あそこは小さい頃から知っている温泉場だ。蛇皮線が聴けるのも良い。
 八代から車を走らせて、1時間弱で現地に着いた。中神温泉は人吉市の西方、球磨村との境いに近い中神地区にある。国道219号線から細道に入って行くと、直きに目の前に球磨川の右岸が現れる。川の手前、広まったところに木造1階建ての建物がポツンとあって、いかにも田舎の温泉場というたたずまいだ。駐車場で車を入れて外に出たら、湯屋の入り口の方から嬉しそうな声がして、Kさんである。番台室の前のベンチに腰掛けて、手には蛇皮線を持ち、にこやかな顔だ。
 そして、しばらくはKさんの奏でる沖縄民謡「安里屋ユンタ」や「ハイサイおじさん」等を聴かせてもらった。球磨地方の民謡「五木の子守唄」もやってくれた。実に滑らかな良い調子であり、感心した。演奏だけでなく、声の方も朗々として、なかなかのものだ。人吉で沖縄の音楽が愉しめるのだから、ありがたいことであった。
 中神温泉は、古くから地元・中神町の人たちによって運営されてきた共同浴場である。地区の住民50数世帯が共同出資しておられる。一般の人も利用してかまわないが、その場合の入浴料はたったの200円である。
 Kさんは温泉共同組合の一員なので、こうしてたまには当番が回って来て、番台に座ることがあるのだそうだ。それで、共同出資者の名が番台室の壁に張り出されているので見ていたら、どうも同級生ではないかと思える名前に出会わした。だから、Kさんに、
「もしかして、この人……、わたしは子ども時代に人吉の二日町にいたですが、同じ名前の同級生がいましたよ。同一人物だろうか」
 とKさんに言ってみたら、目を丸くして、
「いやあ、それは女房の親戚ですよ」
 すぐに携帯で連絡を入れてみてくれた。だが、あいにく、あちらからは応答がない。
「今、携帯から離れとるとでしょうね。後でまた連絡してみますよ」
 とK氏が言ってくれたのでお願いしておき、友人とわたしは入浴料200円を払って中へ入った。
 木造平屋建て、着替え場に入ると、ヒンヤリした空気である。冷房が入っているわけでもないのに、天井が高いものだからこの気持ちよさだ。そして、衣服を脱いで浴場の方へ踏み込んだら、先客が3人いらっしゃった。ご挨拶して、湯槽に入らせてもらう。湯槽の広さは1.5m×2.5mとのことで、こじんまりした家族的な感じだ。湯がまた実に柔らかくて、肌にやさしくなじんでくれる感触である。専門的には、「低張性弱アルカリ性温泉」という泉質だそうだ。浸かった感触で言えば、39度ぐらいの湯ではないだろうか。先客の一人は直ぐ近くの方だそうだが、
「そぎゃんです。沸かさんで済むとですばい。うん、39度か、もうちょっとぐらいじゃろうかな。40度まではなかと思うがな」
 とおっしゃる。そうか、ここの湯は自然湧出のままなのだ。沸かさずに利用できるなどとは、確か球磨・人吉地方に温泉場は30軒余が存在するが、何カ所もはないはずだ。寒さ厳しい冬には、体が温まるまで時間がかかるかもしれない。しかし、夏場にはちょうど良い按配の湯加減である。
 こんなふうで、のどかな温泉場である。
 だが、3年前つまり令和2年(2000)7月4日の大豪雨の際には近くの球磨川から濁流が押し寄せてきた。浴場はいうまでもないこと、天井までもが浸水してしまったというから凄い。後片付けがまた大変で、ヘドロの山だった。みんなで何十日もかけて掃除や修理が続いたのだそうである。しかし、あれから3年、湯槽に浸かって見廻してみると、未曾有の大変な状態に陥ったとは想像もつかないような、長閑な佇まいである。
 ゆっくりと入浴を楽しんでいたら、いつの間にか他の人たちはいなくなってしまっていた。ははあ、今は確か午後3時頃であろうか。ここは午後2時から入浴できて、夜の10時までが営業時間だという。してみれば、わたしたちが入って来た時に湯槽に浸かっていた地元の人たちは、さしづめ一番風呂をしに来ていたのであろう。それも、いつもの習慣だからのんびりとはせず、サッサと体を洗った後はすみやかに去っていったわけだ。
 友人とわたしは、まだしばらくは長湯を楽しんだ。
 そして湯から上がり、着替えて、おもむろに外へ出たところが、おお、番台の前の休憩所に、小柄で、白髪頭で、やや瘠せ気味ながら目鼻立ちのはっきりした顔、見覚えがある。
「あんた、久しぶりよなあ!」
 わたしは思わず声を上げた。あちらはあちらでわたしを見たら満面の笑みを見せて、
「カブンサンも、変わらんなあ、あはははは」
 わたしたちが長湯をしていた間に、K氏がわたしの同級生と連絡をとってくれて、同級生は急きょ中神温泉に駆けつけてくれたのだという。「カブンサン」というのは、わたしのアダナである。
「何十年ぶりかにゃあ」
 と同級生。わたしが、
「うん、中学卒業以来だから、そりゃあもう、60年ぶりばい」
 というと、
「しかし、十数年前に中学の大同窓会があったが、あんた、来んじゃったと?」
 いやいや、わたしもあの時参加した。しかし、なにしろ同級生の数が多すぎて、彼には巡り会えなかったのだと思う。わたしたちの世代は、1学年12クラス、全部で600名を超える人数だった。なんといっても「団塊の世代」なのである。同窓会にはその4分の1程度しか参加していなかったものの、それでも会場に行ってみるとウジャウジャ集まっており、顔を判別できたのは果たして何人であったろうか。
「そぎゃんふうだったから、気づかんままじゃったとばい」
 そう判断するしかなかった。
 それにしても、同級生は、わたしが今年の2月から4月にかけて熊本日日新聞に53回連載した自伝的な書きもの「球磨川のほとりで」を読んでくれていた。
「あれは懐かしかったばい。俺たちの共通の思い出ば、いっぱい書いてくれとったなあ」
 わたしは中学卒業後は人吉高校に進んだのだったが、彼は当時新設された球磨工業高校の方に行った。その工業高校での同級生たちに、わたしの連載記事をLINEで流してくれたのだという。
「それでたいな、出身の中学や高校は違うておっても、同じような思い出があるよなあ。みんな、喜んでくれたとばい」
 嬉しそうに言いながら、彼は自分のスマートフォンを取り出して、LINEの履歴を見せてくれた。見てみると、確かにそこにはわたしの書いた思い出話への熱い反響がたくさん出てくるのだった。
 一番多かったのは、小さい頃に球磨・人吉にはカンジンドン(乞食さん)たちが多かったのだが、そのことに触れた部分だ。子どもたちに人気のあったシギョーさん、この人はいつも頭にパッチン(メンコ)のシートを帽子代わりに巻きつけていた。パッチンの絵柄は、映画「忠臣蔵」に登場する俳優たちばかりだ。シギョーさんは、赤穂浪士を愛好していたのだ。腰に締めた帯には大小のおもちゃの刀が差してあった。人吉から70キロほど北方の松橋(現在、宇城市)の人だそうだが、あちこち巡って乞食稼業をしていたのだ。家々を巡り、わたしの祖母などはいつもデッカイお握りをこさえて、味噌を塗りつけて、与えていた。すると、シギョーさんはかならず御礼に浪花節を一節唸るのであった。
 他に、足の不自由なトッカンピー、葬式には必ず現れるドイさんという女の人、生ものは嫌いで、いつも煮てあるものをねだるニタモンクレ、踊りの上手なオケササ等が町に来ていた。シギョーさんのように回遊性の人もいれば、ドイさんやトッカンピーは地元定住型であった。
「いやあ、カンジンドンって、今はまったく見かけんよなあ」
 とわたしが言うと、
「それから、あんたは、ウサギ狩りのことも書いておったなあ」
 と同級生は実に懐かしそうな表情だ。うん、そうである。毎年、真冬の頃に、郊外の高ン原(たかんばる)で行われていた。そこは旧海軍の基地があったところで、長さ1.5キロ、幅50メートルの滑走路がまだ残されていた。滑走路の周囲は深い藪になっていたから、そこへ全校生徒が夜明け前から出かけていって、棒を手にして、「チョーイ、チョーイ」と大声上げながら藪の中を動き回る。夜明けと共に1時間半ほどかけて学校に戻り、するとそこには「ウサギ鍋」と称するものがグツグツ煮たっていた。おいしい、おいしいと言って皆で食べたのであったが、果たして本物のウサギ肉は入っていたか、どうか。
「だーれもウサギ肉は食っておらんよなあ」
 同級生は大声出して笑った。うん、そう、実にそうなのだ。あの頃、球磨・人吉のどこの中学校でも冬場に「ウサギ狩り」行事が行われていたようなのだ。
 そのようなカンジンドンやウサギ狩りの思い出は、球磨工業高校の卒業生たちにとって、出身中学校が違っていても共通してたいへん懐かしいのだそうだった。
 あの連載は、始まった途端、知人・友人・親戚・まったく知らない人等々から反響がたくさん寄せられて恐縮していたのだったが、そうか、球磨工業高校の同窓生たちも読んでくれたのか、と、なんだかとても胸が熱くなってしまった。
 同級生は、この中神温泉から500メートルほど東の方に居を構えているそうだ。球磨川に近い場所なので、あの大水害の時、彼の住まいにも濁流が押し寄せてきたという。
「うん、全壊してしもうたたい」
 だが、なんとか復旧し終えて、今は再び平穏な生活を取り戻しているのだそうだ。
「エライなあ……」
 わたしが思わずそんな呟きを漏らした時、彼は照れくさそうな表情であった。
 いやあ、友人に誘われてフラリと中神温泉に出かけたのだったが、このような展開になろうとは、実に意外なことであった。生きていると、ごくたまにではあるものの、こうした歓びが味わえるのだなあ、と、ほんとに、しみじみした思いであった。

▲中神温泉 わりと広い田園地帯の片隅にポツンと存在する。1日に160人~180人が利用するそうだ。のどかな雰囲気が評判で、よそからわざわざ入りに来る人も多いらしい。なにしろ入浴料200円、安いものである。