第419回 氷室祭に行ってきた

前山光則

 八代という町に、もう40年以上住んでいる。ふるさと人吉で過ごした年月よりも2倍以上の時間になるわけである。
 さて、この八代でどのような行事が好きかと問われたら、迷わず「氷室祭(ひむろまつり)!」と答えたい。この祭については、実は8年前、この連載「本のある生活」第263回で話題にしたことがあるが、あえてもう一度触れてみよう。
 これは、八代市妙見町の八代神社こと妙見宮で毎年5月31日の夕方から翌6月1日の朝方にかけて行われる祭である。昔の人たちが、お殿様の夏越しの無事を願って近くの三室山の残雪や氷を献上した、という故事に由来するのだそうだ。俳句歳時記に夏の季語として「氷室の節句」「氷の朔日(ついたち)」と載っているのと、同じものである。だから、氷室祭は歳時記同様「氷朔日(こおりついたち)」とも呼ばれている。遠いとおい昔には、実際に氷室などに保存していた残雪を使ったのかもしれぬが、現在は雪の代わりに「雪餅」を食べて無病息災を祈るわけである。とりわけ、還暦を迎える人は必ずお詣りに来ることになっている。
 はるかな遠い遠い昔には、宮中とか大名家などで行われていた催しなのだろう。だが、今はここ八代ですっかり庶民の祭として伝承されているわけだ。
 それで、5月31日の夜、妙見宮へお詣りしに行ったのであった。その日は、たまたま夕方から男3人で町の料理屋に行き、夕食会をした。料理をつつきながら、当然、氷室祭のことが話題になったのだが、語り合っているうちに、なんだかこのまま妙見宮に行きたくなって来た。同調してくれたのがS氏で、食事が終わり、店を出ようとした時、
「行ってみましょうか?」 
「うん、やはりお詣りせにゃあ」
 2人の気持ちが一致した。
 幸い、料理屋から妙見宮まではさほどの距離ではなかった。車で1キロ半ほどのところに参道の入り口がある。すでにもうゾロゾロと老若男女が歩いている。この分だと、神社内は混み合っていそうであった。さて、車はどこに置くか。だが、よくしたもので道ばたに交通整理係が立ってくれていて、国道3号線沿いに特設駐車場があるからそこに車を入れなさい、と指示してくれた。行ってみると、そこに車を置いて参道へと出れば、もう神社の大鳥居は先の方に見えているのだった。
 2人で、早足で歩いた。S氏の方がわたしより15歳ほど若いから、足が達者である。スイスイ行くので、こっちも負けていられない。遅れぬようにと、精一杯急いだ。
 参道にはすでに何軒も臨時の雪餅屋さんが出店し、おいしそうな白い煙というか蒸気というか漂わせて、賑やかに客との応対をやっている。なんだか、それを目にするだけで気持ちがウキウキするのであった。
 まずはお詣りしなくてはならないが、2人で本殿前に行くと、すでに行列ができていた。お賽銭を投げ込み、柏手を拍ってお詣りを済ますまでには20分ほどかかってしまった。
 神社の境内にも臨時の雪餅屋さんがいくつか店を出していた。いやはや、賑やかだ。
 ところで、「雪餅」ってどんなものなのか、平山健二郎編著『熊本の味』(熊本日日新聞社)には、次のように説明してある。
「何ということはない。普通の米の粉にもち米の粉約二割を加え、中に甘味のかったあんこを入れてセイロで蒸せば出来上がり。かるかんに似た形だが、粉に甘味をつけてないのであんこのほうで埋め合わせる」
 こういったふうな、「何ということはない」とあるとおりの、実に素朴な「餅」というか、正確には「蒸し饅頭」と称すべきだろうか。いつもは全く違う仕事に従事する人たちが、この祭の時だけ神社境内や参道で臨時に店を出し、雪餅作りをするのである。
 八代市の妙見宮というなら、秋に行われる大祭が広く知られているかと思う。古式豊かな神幸行列が街を練り歩き、見物する人たちがたいへん多くて賑わうし、神社への参拝者もえらく混み合うという、賑やかな祭である。
 だが、わたしはこの秋の大祭よりも氷室祭の方がずっと好きだ。何といっても、氷室祭の時は素人の雪餅屋さんが10軒ほども店を出し、盛んに火を焚き、餅を蒸し上げるという賑やかな光景が見られる。そう、この祭は通常のそれと違って、「雪餅」という甘い物が主役なのだ。参拝者たちは神社にお詣りした後、居並ぶ雪餅屋さんのどれかに立ち寄って買い求め、その場で味わう場合もある。持ち帰って、それぞれの家庭で食する人も多い。こういうふうに、甘い物が主役。だから、ものすごく珍しい祭ではないだろうか。
「去年はさびしかったですよね」
「いや、やっぱりここに来たとですか。うん、ほんと、ぼくもお詣りには来たばってん、雪餅が手に入らんじゃった」
 わたしの場合、昨年は別の友人たちと一緒に祭へ来てみた。というのは、コロナ禍のために2年ほどこの祭は行われなかった。残念な事態が続いたのだ。それが復活するというので、ポン友2人と共にやって来たのだったが、何とも残念、素人衆による「雪餅屋」はまったくなかった。代わりに1軒だけ、専門のお菓子屋さんが自分ところの工場で作ったものを持ち込んで、神社本殿の横で販売したのだそうであった。ところが、わたしたち3人が出かけたのは夜なかの11時半頃であったが、すでに雪餅は売り切れていた。だから、参拝者は大変多かったものの、実質はなんともさみしい、わびしい氷室祭だった。
 それに比べたら、今回は完全復活であるかのように見えた。参道にも本殿周辺にも蒸籠(せいろ)が煙を立て、雪餅の甘やかな匂いが漂い、参拝者も昨年に増して多くて、たいへん盛り上がっていた。
 S氏は、にわか雪餅屋さんの中に知り合いを見つけて、実に親しそうに会話している。わたしも、かつてここではいつも教員時代の教え子が雪餅販売の手伝いをしていたので、どこにいるか探してみた。しかし、なかなか見つけられなかった。
 なにしろ、大勢の人たちで混んでいた。
 おもしろいもので、にわか雪餅屋さんは、買い手が長い列を作るところもあった。それだけ人が並ぶのは、やはりおいしいからであろう。一方で、ちっとも人の寄りつかない店もあった。そういう店は、蒸し上がった雪餅だけが虚しく山を成しているのであった。
 S氏もわたしも、長蛇の列ができている店で長い時間を我慢するのはイヤだった。中に、数人が並ぶ程度の店があったから、そこで買い求めた。1袋に5ヶ入っていた。ホカホカした雪餅を手に、なんだか他愛もなく幸せな気分になるのであった。
 ところで、残念ながら、祭はやはりまだ「完全復活」とはいえなかった。それというのも、買った雪餅を店の中で、お茶でも飲みながら食べてみたかったのだ。だが、座席はひとつも設けられていなかった。
「いや、そうか、客席があれば皆が長い時間ここで寛ぐことになるからなあ」
 となれば、人の流れが滞ることになるわけで、コロナ感染の怖れがある、というわけであろう。なーるほど、だから、そのような配慮がなされているからには、これはやはりまだ「完全復活」とは言えないのであった。
 来年になれば、客席も復活するであろうか。雪餅がじゃんじゃん作られ、店の中で大勢が茶を飲み、餅をぱくつきながら夜を過ごす風景。中にはビール飲みながら雪餅を食べる飲んべえもいないわけではないが、少数派だ。遠慮しいしい飲むだけという、あくまでも甘党の方が大きな顔して愉しむ祭、来年こそはそれを満喫したいもんだなあ、と思いながら駐車場の方へ急いだ。
 帰宅したのは、何時であったろうか。もう午後10時は過ぎていたような気がする。
 さて、まだ「祭」はほんとは終わっていなかった。買って帰ったひと包みの雪餅の包みを開いた。なんだか、夜も遅くになって甘いものを口に入れるのは、なんとなく気が咎めたが、いや、しかし、食べておくべきなのだ。そうしないと有難味が薄れる。妙見宮で買い求めた雪餅、それは玄人の作ったものではない。素人衆の手によるものである。だから、今でこそまだ生ま暖かくて、柔らかくておいしそうだが、一夜明ければもう固くなってしまう。祭の有難味を感じたければ、やはり今のうちに食べておくのが良いのであった。
 だから、口に入れた。あまり大きくないから、どうということはなかった。なんだか幸せな気分で茶を啜り、着替えて、寝に就いた。
  *              *   
 いや、そして、翌朝である。目覚めて、起き上がったら、お腹はすっきりしていたものの、足がえらく痛くて、強張って、なんだか歩きにくいほどであった。
 はて、なぜか。思い当たるのは、夜、妙見宮への行き帰りに年甲斐もなくやたらと急ぎ足になったが、アッ、どうもあれが原因としか思えない。しかし、エッ、あれだけのことで足が痛むのか。なんだか、納得できないなあ。だが、まあ、妙見の神さまが、
「年寄りは、あんまりせっかちになるものではないゾ」 
 と窘(たしな)めてくださったのかも知れぬなあ。朝の内に整形外科医院へ出かけて、電気治療をしてもらったのであった。
 
 
 

▲氷室祭の雪餅 1回につき、7×7=49ヶの雪餅が蒸し上げられる。それを袋分けして売ってくれるのである。正方形の雪餅のサイズは、約5センチほど。一口で食べられる。