第425回 旅情をそそる本 

前山光則 
 
 秋は読書の季節といわれるが、ほんとにそうだなと思った。やはり、夏のように暑くないし、かといってまだそう寒いわけでもなかったので、本を読むには適した日々であった。
 最近読んだ本の中では、筒井功著『近代東北アイヌの残像を追って』がおもしろかった。 アイヌというなら、今年はじめの頃には古布絵作家・宇梶静江著『アイヌ力よ!――次世代へのメッセージ』を読んで、感銘を受けた。大自然の中で生きるアイヌの人たちのたくましさ、感性のしなやかさには並々ならぬものがあるのだな、と思ったのだった。そして、これは北海道での話である。つまり、普通、アイヌ民族というなら北海道が真っ先に思い浮かぶわけだが、今度の本は違う。タイトルから分かるように、東北地方の「アイヌの残像」のことが研究されている。
 著者は民俗学者で、『葬儀の民俗学』『漂泊の民サンカを追って』『ウナギと日本人』『漂泊民の居場所』等々、たくさんの著書があるようだ。そして、地名研究にも興味があり、特にこの10年ばかり前からは東北地方を歩きまわるようになったのだそうである。その結果、アイヌ人は北方から南下してきた民族であった、そして、東北地方の北部にはどうも数千のアイヌ語地名が残存するらしい、と知ったのだという。とりわけ、マタギ集落が集中するあたりには「アイヌ語地名が異常なほど濃密に分布する」ことが確認できたそうである。
 著者によれば、まず「マタギ」とは「地域の全戸か、ほぼ全戸が狩猟を主たる生業にしている集落に居住する職業漁師のこと」である。狩猟することで生計を支える人びとは、全国どこにでもいる。だが、域内に住むほとんどの家が「専業猟師」であるという集落は、「東北地方の一部にしか存在していなかったと思う」と著者は言う。つまり、それがマタギ集落に他ならない。
 さらに、著者が言うには、だいたい、地名のこと以前にもともと「マタンキ」だとか「マタギ」という語自体がアイヌ語であり、「狩猟または猟師を意味する」のだという。そして、マタギの人たちは狩猟に出たら「山言葉」つまり隠語のみで互いに会話するが、その山言葉の中には「知られているだけで数十語のアイヌ語が含まれていた」ということである。たとえば、「水」をワッカ、「雨」を「ワカ」、「魚」を「ワカムグリ」、「犬」を「セタ」、「心臓」を「シャンベ」、「猫」を「チャベ」等々、アイヌ語と共通するのだという。
 だいたい、マタギの日頃の生活ぶりが興味深い。秋田県仙北市上桧木内(かみひのきない)の門脇宇一郎さん(明治42年生まれ)などは、「わたしの親父もマタギだった」のだそうで、
「このあたりでは、昭和四年(一九二九)から炭焼きが始まりましたが、それまではマタギ以外の仕事はありませんでした。それで冬は猟をし、夏は行商に出ていました。わたしは熊の胆や脂、いろんな動物の毛皮を持って大阪あたりまで売りに行ったもんです。おじの寛一郎なんかカラフトや朝鮮まで足を延ばしていましたよ」
 等々と語ってくれた由である。彼らの商品の中でいちばん売れ行きが良かったのは、「やっぱり熊の胆」だった。
「しかし、これは量にかぎりがありますからね、本物だけでは足りません。それで、豚の胆を熊の胆と称して売ることもしていました。干し上げてしまったら素人には区別がつきませんし、豚の胆でもそれなりの薬効はあるんですよ。もちろん、値段は安くしておきましたが」
 この宇一郎さんは、自分自身でも小学校5年生ごろから鉄砲を撃っていたそうだから凄いではないか。
「そうやって、村中の者が商いに出かけていましたからね、ここの人間は金もあったし、広い世間も知っていたもんだから、生活は下の町場より進んでいました。わたしらが子供のころ角館(かくのだて、現仙北市角館町のこと)あたりの家はほとんどが板敷きでしたが、ここでは畳を入れた家がいくらもありましたよ」
 門脇宇一郎さんは、そのような話を「やや強い秋田訛り」で語ってくれたという。
 ――と、まあ、こうした話が色々出て来て、この『近代東北アイヌの残像を追って』は実に興味深い本である。
 「おわりに」の中で、著者は、
「彼らの痕跡は、さがせばまだまだ見つかることだろう。その存在は、日本は単一民族国家であるとする『神話』を否定する証拠の一つになる。それは残すに値する記録であり、できることなら地元で暮らす篤学者の、もっと精密な報告が現れてほしいと思う」
 と述べている。そうなのである。かつて作家・島尾敏雄氏は「ヤポネシア」論を展開し、日本を大陸からの影響や本土中心の歴史・生活観だけで考えるのではなく、島々伝いに残されたものを広く視野に入れてみ視るべきだ、と説いたことがある。そのようなヤポネシア論をも思い起こさせるのであり、これは広い視野から書かれたアイヌ研究書だな、と思う。
 宇梶静江著『アイヌ力よ!――次世代へのメッセージ』を読んで刺激を受けた折りには、
平成29年(2017)5月下旬に北海道へ女房と一緒に旅行した時のことを思い出したものである。あの旅では函館あたりから知床半島までも足を伸ばしたのだったが、途中で阿寒湖畔にも立ち寄った。湖畔のアイヌコタンを歩いて観たり、アイヌシアター・イコロではアイヌの古式舞踏を観たりもした。しかし、『アイヌ力よ!――次世代へのメッセージ』に書かれているアイヌの人たちの生活ぶりを読んで、ああ自分たちはいかにも表面だけの見物をして帰ってきたなあ、もっと詳しく観たり話を聞いたりすべきだったよなあ、と、大いに反省したことであった。
 今回の『近代東北アイヌの残像を追って』もまったく同様であり、アイヌの人たちについて深く知りたいものだ、との思いが再び悩ましく募ってきた。北海道旅行のときのことを思い起こしたのは言うまでもないことだし、この本で登場する秋田県についても、実は以前、旅したことがある。平成25年(2013)の10月、あの時はやはり女房と一緒に東京へ出たついでに足を伸ばし、埼玉県の秩父に行った。それからいったん東京へ戻った後、秋田に出かけて行き、角館で武家屋敷街をゆっくり散策してみたし、秋田市内では久保田城址をじっくり歩き回った。秋田の後は、青森を巡った。
 そうしたところを旅したことはありながら、マタギについては正直なところさほど関心がなかった。
 だが、今は違う。『近代東北アイヌの残像を追って』を読んで、ああ自分は秋田県へは旅したことがあるが、あの時マタギの人たちのいる近くを歩いたのだな、と思うと、無性に旅心が湧き起こってくる。東北方面、とりわけ秋田県それも山間部の方へ行き直してみたいものだ。ああ、どうにかできぬかな。
 あの頃と比べて、歳をとってしまい、はっきり言って今は体力に自信がない。でも、行ってみたい。どうにかならぬものか、と、今、悶々としているところである。 

球磨川の河口近く このあたりから海までは、もう1キロもない。当然、潮の満ち干の影響も受ける。この頃、もう渡り鳥も姿を見せているような気配である。