前山光則
前回は大晦日の夜のことにも触れたが、今回はその続きである。
年越し蕎麦を食べてからは、テレビで漫然と紅白歌合戦を観て過ごした。そして歌合戦が終了する頃になって、帰省中の娘が不意に、
「今から神社に行ってみようか」
と言い出したのである。娘からそんなふうに誘われるのは、とても珍しいことであった。ただ、正直なところ億劫だった。なにせ、もう眠たかった。
でも、そう言えば夜のうちに初詣でをしたことがなかったなあ、と思った。これから、寺であれば除夜の鐘が鳴る。いや、家の外に出れば、もうすでに鳴っているのが聞こえるのかもしれない。そして、神社では、日付けが替わると共に参拝客が初詣でをするに違いない。そうか、夜なかに寺や神社が賑わうわけか。
「うん、まあ、行ってみても良いな」
それで、午後11時半を過ぎた頃であったか、着膨れして出かけることとなった。
家から1キロ弱のところに、麦島神社というのがあるのだった。かねてわたしは、元日の昼頃歩いてそこまで行って、一人で初詣でをするのが習慣だった。小さな神社であるからか、その時間帯にはもう人がいない。社務所はあるものの、人がいる気配もなくて、ただ御神殿の前に長机や椅子がまだ置かれたままになっており、たぶん夜なかから朝方までは参拝客が訪れたのであろう、と察せられるのであった。静まり返った神社に一人だけで来て、神殿の前に立ち、柏手を打って、礼拝する、これはこれで気楽でいいもんだ、と、いつも自分としては満足であった。
今まではそんなふうだったから、夜のうちに麦島神社へ出かけるのは初めてであった。
家を出て歩き始めたが、さすがに夜なかである。夜気の冷たさがやや身に沁みるので、早足に歩いた。大通りは何台か車が行き来したが、歩道を行くのはわたしたちだけであった。エッ、それではこんな暗いうちから初詣でをしようというのは、もしかしたら自分たちだけだろうか、と、やや不安になった。
どこか遠くで、ゴーンと寺の鐘が響いていた。うん、あれは間違いなく除夜の鐘だ。
娘とわたしが神社に辿り着いた時、社務所には灯りがついていたものの、受付の窓は開いていなかった。無論、御神殿の前には誰もいない。娘とわたしは思わず顔を見合わせてしまった。なんだか、不安。
時間を確かめてみたら、11時50分だった。もう少し待てば日付けが変わって2024年すなわち令和6年となるわけである。とにかく12時になるまで居てみよう。
2人で御神殿の前でじっと待っていたら、12時になる直前になって社務所の窓が開いた。室内の灯りが外へこぼれ出て、中で何人かの男性が動いているのが見えた。御神殿の前の方には、若い人たちの姿が現れた。うん、やはり初詣でをしてかまわないのだな、と安心したから、12時きっかりに御神殿の前へ進み出て、姿勢を正し、頭を深々と2回下げた後、パン、パンと柏手を2回打つ。そして、また深々とお辞儀。その間、何か願いごとをするつもりもなく、はっきり言って頭の中は空っぽであり、ただただ恭(うやうや)しく参拝したのだった。そして、これをし終えたら、我ながらなんだか気持ちがスッキリした。 さて、おみくじでも引いてから帰ろうか。 でも、御神殿の方にはおみくじ販売機が置いてなかったので、社務所の方へ買いに行った。そして、窓口には男の人が3人いたから御挨拶をしたのだったが、暗がりから中の方を覗き込んでいるうちに、一番右に立っているやや小柄だががっしりした体格の人には、見覚えがあるような気がした。でも、室内の灯りが強すぎて、かえってよく見て取ることができない。それでも気になるから遠慮気味に覗き込んでみたところ、おや、ま、なんだ、M氏ではないか。
「Mさん、今晩は」
「ハ? お、おやおや」
お互い、ビックリであった。M氏は確かに神社近くに住む人である。小さな印刷所をやっている人で、わたしなども名刺はいつもM氏に頼んで作ってもらっている。だからずっと以前から知り合いだし、行きつけの喫茶店で出会わすこともしばしばである。
そのように顔なじみだが、大晦日の夜、というかすでに12時過ぎたので日付は2024年1月1日、そういう時間帯に神社の社務所にM氏がいて、おみくじを売る側の人間として現れたのには戸惑ってしまった。
M氏はM氏で、
「なんでまた、あなたが今頃、ここへ」
と、目を丸くして言うのであった。
「いや、それは、Mさん、初詣でをしに来たとですたい」
「あ、うん、そうか。どうも、いらっしゃいませ」
「はあ、あはは」
なんだかおかしくなって、互いに笑いがこみ上げてきたほどであった。
いや、聞けば、M氏は町内会の仕事の一つで神社へ詰めていたのだそうであった。はあ、そうだ、と、わたしも思い当たった。M氏は最近、喫茶店で同席した時に、珈琲を啜りながら、
「町内会長をやらされとるんだよなあ」
とぼやいていた。なるほど、小さいながらも印刷所を経営し、奥さまが最近体の調子が良くなくて介護もしてあげている。たいへん多忙な人なのだが、いや、やはり町内でしっかり信頼されているわけだ。だから、年末年始、ここへ詰めて、地元の神社のために尽くしているのだ。
「おみくじちゅうのは、良さそうなものばかり揃えてあるとだろたい」
横合いから顔を覗かせたご老人が、M氏に声をかけた。M氏は苦笑いしながら、
「うんにゃあ、そういうわけでもなかとばい」
受け答えが慣れているふうで、貫禄のようなものが感じられるほどであった。なんだか、M氏の姿がいつもより大きく見えてきたような気がした。
わたしたちにおみくじを渡しながら、
「いやあ、今年もよろしくお願いいたします」
とM氏が言うので、こちらも慌てて受け取りながら、
「こちらこそ、旧年中は、色々とお世話になりまして、ありがとうございました」
こうして、真夜中に年始の御挨拶を交わすこととなったのであった。
夜なかの初詣を済ませて、娘と友にまた歩いて帰宅した。夜道は、さっきと違って車もじゃんじゃん行き交った。歩きの人も何人かいた。なんといっても、いつもとはまったく違う夜景であった。
ちなみに、麦島神社で引いたおみくじであるが、娘は「吉」だった。わたしは、「中吉」。娘によれば、「中吉」よりも「吉」の方が良いのだそうだ。ほう、そうなのか。おみくじに書いてあるのをよく見てみたら、「願望」の項には「心をこめて祈れば苦境を逃れて叶う時が来ます」とあって、まずまずだ。しかし、「待人」の項には「支障があって来ません」、「相場(賭)」には「酒に溺れると負けます」と記されている。フーン、やはりどうも「中吉」は冴えないな。でも、ま、良いか。
娘は、おみくじを神社の立木の枝にていねいに結わえたそうだ。だが、わたしはボンヤリしていたため、ポケットに入れたままで帰って来た。