太平洋戦争勃発直前、全国11か所に、武器・弾薬のうち、主として弾薬の製造を担った製造工場が建設されたことはあまり知られていない。本書は、その中でも全国最大規模の広さと製造量を誇った坂ノ市製造所(大分市東部)がどのような経緯でそこに設置され、戦後どう処理されていったかを、当時の時代状況とともに克明に解き明かしていった労作。各地方は〈戦争〉をどう体験したのか、そして〈戦後〉とはどのような状況のことなのかを、資料、遺構、当事者への聞き取り等から実相を描き出す。戦後80年の今を照らす光源として。
Ⅰ 草創期第 一章 双子の製造所 丘陵と谷間利用し /軍縮から軍拡へ/原料確保に有利/さらなる拡張含み/測量開始は「一九三七年」 第二章 謎解きと新資料 東九州製造所配置図案/米軍はお見通し?/歴史の証人/見つかった施設リスト/二八の地区割り基本に/安瓦薬では全国トップ/製品と使用兵器は/本土戦主眼に/「切迫感」の表れ 第三章 コメから火薬へ 揺れた美田の地/苦渋の三町村合併/「丹献上」の先例/「軍都」計画/大在は物流拠点に/「家も土地も取られ」/仏像背負い丘下り Ⅱ 建設から稼働へ 第四章 「旬報」が伝える大工事 荒尾との関係深く/符牒と用語の迷路/変わる山川の姿/伸びるパイプライン/利用は一年余り/九州各地から徴用工/活躍した軽便鉄道/資材不足に悩む/自然災害が追い打ち/「地下宮殿」との競合/底辺を支えた人々/「最後」の旬報/無煙火薬工室完成へ 第 五章 農村工場の日々 都市の風と産業戦士/多岐にわたる作業/特別仕様のNG工程/機密保持に細心注意 /敷地内で米、夏ミカン 第六章 総動員体制と戦局悪化 大規模な計画変更/航空関連にシフト/勤労動員が本格化/「あゝ紅の血は燃ゆる」/グリセリン飲み下痢/ついに起きた大事故/肉弾戦と小型爆破薬/日米とも本土決戦想定/空襲におびえる日々/坂ノ市製造所でも被害/山国秘密工場/原料もひっ迫/「戦争が終わった」 Ⅲ 工場閉鎖、そして現在 第七章 米軍進駐と戦後処理 残された膨大な物資/焼却処理と海中投棄/大蔵省管理下に/農地改革追い風に/企業払い下げと賠償施設/もう一つの戦後問題 第八章 上書きされた記憶 旭化成進出へ/再度の農地買収/宇治、板橋の機械も/特需終了に対応苦慮/一時帰休から人員削減へ/現在と残像つなぐ 第九章 坂ノ市製造所遺構の現状 ①大在事務所地区 正門門柱など/②取水地区 浄水施設/③大池硝斗地区 成品庫/④第一デカ(伝火薬筒)地区 篩分混和室/⑤綿薬地区 湿薬溜置室/⑥コド(混同)地区一列 篩分溜置室(一部)/⑦第一セット地区 収函室/⑧坂ノ市宿舎地区 官舎 ⑨陸軍用地境界標柱、引き込み線跡など 第十章 全国の製造所跡を訪ねて板橋製造所跡(東京都板橋区)/岩鼻製造所跡(群馬県高崎市)/宇治製造所跡(京都府宇治市)/香里製造所跡(大阪府枚方市)/曽根製造所跡(福岡県北九州市)/荒尾製造所跡(熊本県荒尾市) Ⅳ 戦争遺構の価値とは何か 全国に数万カ所/無理に無理を重ね/陸海軍の連携薄く/依然残る謎/大分市が保存活用計画策定へ/遺構が映す「総動員」の教訓/東京第二陸軍造兵廠坂ノ市製造所 関連年表 [解説]三つの資料が全容解明のカギに 荒尾と坂ノ市を結ぶもの 主要参考資料および文献
藤井 通彦
1958年、大分市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社入社後、ソウル支局長、国際部長、論説委員長など歴任。テレビ西日本に移り、2019年まで取締役報道局長などを務める。著書に『韓国流通を変えた男』(西日本新聞社)、『愛と絶望のコリア記』(海鳥社)。