第6回 「今は罷らむ」

                                       前山 光則

 春というよりも、もう早や初夏の気配が感じられるこの頃だ。我が家の庭の柿の木も、今、若葉がとても新鮮な淡い緑色である。良い季節なのだな、と思う。読書の秋などとよく言われるのだけれど、なにも秋に限る必要はないわけで、むしろ今のような爽やかな時季こそじゃんじゃん本が読める。
 そして、じゃんじゃんでなく、ちょっとずつ読んでいる本もある。それは、『万葉集』。思えば、若い頃は古典文学は書かれていることも使われていることばも縁遠い、自分たちの生活感覚にはちっとも響いてこない、と、そのような意識であった。それが、年をとるにつれて少しずつなにか近しい感覚が生じてきたから、不思議である。それで、『万葉集』だが、毎日2首・3首というふうに読むようにしているのである。「君が行き日長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ」、磐姫皇后が仁徳天皇を想って作ったという歌。恋しい人を慕う女の人の気持ちの、なんという純なこと。「聞くがごとまこと貴く奇しくも神さびをるかこれの水島」、長田王が不知火海の水島を詠んだ歌。水島は球磨川の河口にあって、現在は干拓で陸地化しているが、歌に読み込まれた当時はまだ沖合に浮かぶ島だったのだ。こういうふうに辿るうちに、今日は異色の歌に出くわした。

  憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も吾を待つらむぞ

 よく知られた山上憶良の歌である。筑前守在任中に太宰府での宴で詠んだのだそうだが、これはちょっと他の歌人達と違った世界を有した人だったのではなかろうか。酒宴の席から退出しようとする際に、子どもやその母親のことを話題にする。なんだか全身から人間味が立ち上ってくるような感じだ。こういう人には会ってみたいもんだなあ、と思うくらいに親しみを抱いた。
 ともあれ、少しずつ『万葉集』に親しむのだ。

(2010年4月26日・月曜)