第18回 山頭火と遊漁鑑札

前山 光則

 残暑厳しい毎日だが、今、イベントの準備を少々手伝っている。わたしの住む熊本県八代市の日奈久(ひなぐ)温泉には昭和5年に放浪の俳人・種田山頭火が3泊した時の木賃宿「おりや(織屋)」がそのまま残っており、それを記念して11年前から有志の手によって「九月は日奈久で山頭火」と銘打った催しが続けられて来たのである。9月いっぱい種々の行事が続くが、柱となるのがシンポジウムで、今年は9月23日(木曜)にホテル潮青閣で開催予定だ。エッセイストの乳井昌史氏が「山頭火と世間師たち」と題して講演する他、パネルディスカッションも行われる。
 この日奈久温泉のイベントを手伝うためもあって山頭火の全集を再読したが、あらためて気づくことがいくつかあった。その中の1つ、日記に次のような記述があるのだ。

 「いよいよ遊漁鑑札を受けた、これから山頭火の釣のはじまりはじまり!/アイをひつかけるか、コヒを釣りあげるか。」(昭和10年8月26日)

 川で魚釣りしようとしているのである。しかも遊漁鑑札を取得した、などとはとても意外な事実だ。以前読んだ時にどうしてこの面白い箇所に目が止まらなかったのだろうか。
 昭和10年、山頭火は山口県小郡の其中庵(ごちゅうあん)に住んでいた。鑑札を得てすぐから川へ出かけたわけではない。8月28日には風も雨も強くて「夢にまで見た魚釣第一日」は中止。その翌日、句友の国森樹明に誘われて正午から付近の椹野川(ふしのがわ)に出かけたが、釣れぬ。そこで、場所を変えて沼へ行ったところ「中鮒三つ、小鮒八つ」が釣れた。その日の夕食は、麦飯とフナ。いや、焼酎も呑んでいる。「中鮒は刺身にし小鮒は焼く」とあるが、フナの刺身、これは実においしかったろう。深い甘みがあって、海の魚なんかよりもはるかに美味だ。山頭火は、「釣は逃避行の一種として申し分ない、そして釣しつつある私は好々爺になりつつあるやうだ、ありがたい」と記す。 以後も何度か川でフナやハゼを釣ったり、釣れぬ時にはシジミを掘ったりするのだが、魚もシジミも自分が食べる分だけである。素人の川遊びに過ぎぬレベルで「遊漁鑑札」だから、なんともほほえましいことではないか。
 しかも、山頭火は釣りに凝る二週間ほど前の8月10日には自殺未遂をしでかしている。「釣は逃避行の一種として申し分ない」と記しているのはその自殺未遂の名残りと読めないこともないが、それにしても死にそこなってからまださほど日数も経っていないのに釣りに興じる。ここから精神的回復力の強さを読み取るべきか。あるいは、胸中にはまだとても重たい気分が尾を引いており、「逃避行」として釣りに気を紛らしているだけなのだろうか。
2010年8月26日

▲日奈久温泉。古い歴史を持つ温泉場。山頭火は行乞日記の中で
「温泉はよい、こゝは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、-いや一生動きたくないのだが」とこの日奈久温泉をほめている。

▲木賃宿おりや(織屋)。日奈久温泉の路地を入ったところに、
昔のままの姿で遺っている。9月いっぱい誰でも見学できる。