第35回 どんどや

前山 光則

 寒い、寒い。冬だから当然のことではあるのだが、寒の入りと同時にまた底冷えが強くなって、なんだか切ない。
 そんな中、1月9日(日曜)、わたしの住む球磨川河口の三角州では各町内でどんどやが行われた。朝の9時半に近くの河川敷に出てみたら、竹や杉の葉等を束ね、積み上げて塔というか柱といおうか、見上げる高さのものが建てられており、ちょうど子ども達がそのまわりを松明(たいまつ)を持って取り囲み、点火するところだった。町内会長さんの号令でいっせいに火がつけられ、パチパチと火が燃え上がる。すると遠巻きにして眺めていた人たちが火の方へ近寄り、それぞれ自分の家から持ってきた注連(しめ)飾り・松飾り等を投げ込む。火の勢いが強くなり、盛んに炎と煙を巻き上げる。
 火が収まって燠火(おきび)状態になってから、子ども達が餅を焼いて楽しむ。町内の世話役の人たちが作ったぜんざいや団子(ダゴ)汁等がふるまわれ、ひとしきり座が賑わうのである。竹の先を尖らせて餅を突き刺し、それを火にかざす時、子ども達は目をキラキラさせてはしゃぐ。ぜんざいをアッという間に平らげてお代わりをする。
 堤防の上によじ登って三角州全体を眺め渡してみると、河川敷とおぼしきあっちこっちで他の町内の煙が上がり、いつも見慣れている一帯がまるで初めて訪れたところででもあるかのような風情(ふぜい)だ。旅情に似たものが胸に湧いたほどで、ああこのようにしてお正月が去っていくのだ、と感動を覚えた。
 「どんどや」って「左義長(さぎちょう)」のことだよなあと思い、家に帰ってから『日本大歳時記』を開いてみた。それによると左義長は小正月に行われる火祭りのことで、「今はたいてい子供や若者の行事になっている」、しかし元来は「村の大がかりな集団行事」だった、とある。古くは漢字で「三毬杖」とも書いたのだが、「毬杖(ぎちょう)」とは、祝い棒の一種。3本の竹または木を結んで三脚にし、立てていたらしい。一般には「どんどや」とか「とんど」「どんどん」等と呼ばれているわけだが、これは「囃子詞(はやしことば)から来たのであろう」と説明してある。「左義長」「三毬杖」よりも「どんどや」の方がなじみやすい言い方だ。
 そして、小正月の行事ということだが、それなら1月15日か、あるいは14日から16日の間に行なうのがもともとのやりかただろう。しかし今は子ども達の学校や大人達の勤めのことを考慮して、15日に最も近い休日を選んで実施されているようだ。これはまあ無理もないことで、何日も前から材料を集めて組み立てて一気に燃やし、あとはみんなで餅を焼いたりぜんざいを食って楽しむ。この楽しさの続くことの方が大事なのだ。

どんどや

▲さかんに燃え上がる場面も撮りたかったが、ちょっとの間ほかのことをしてたらタイミングを失してしまった……残念無念!