前山 光則
2月10日(木曜)、福岡県の八女市と柳川市を巡ってきた。八代市立図書館主催の文学散歩の案内役として同行したのである。
曇り空の下、貸し切りバスに29人が乗って午前8時半に八代を出発。八女市の中心部まで、所要1時間20分だった。昔の造り酒屋の離れを利用したという夢中落花文庫を見学したのだが、ここは別名「山本健吉資料館」という。建物の前の庭には、健吉・秀野の夫婦句碑が建てられており、肺結核のため39歳で亡くなった俳人・秀野の句は「蝉時雨児は擔送車に追ひつけず」が刻まれている。自分が病院へ運ばれて行く際に子が追いすがったという、切ない情景だ。建物の中には、戦後の文壇で活躍した文芸評論家・山本健吉や妻・秀野、それに健吉の父・石橋忍月のことも分かるよう遺品等が展示されていた。
それから水郷柳川市まで40分ほどしかかからなかった。掘割りのほとりの料理屋で窓外に川舟を眺めつつおいしい鰻せいろ蒸しを食べてから、午後は北原白秋の生家や長谷健(はせ・けん)文学碑等を見学した。さすが柳川で、平日ながらあちこちに観光客の姿が目に付いた。で、5時過ぎには八代帰着。早春の八女・柳川、実に気持ちよかった。町並みにケバケバしさがなく、さりげない時の歩みの中にあるという感じで、落ち着くのだ。
今度の八女・柳川行での収穫は、まず山本健吉と八女との縁が分かったことだ。健吉自身は長崎生まれの長崎育ちである。だが父の忍月が八女育ちで、しかも石橋家は古くから土地に根付いていたのだそうである。
そして北原白秋の詩・短歌・童謡・新民謡等にはあらためて感心する。情感豊かで、しかもどんな表現パターンも上手にこなしてしまうのだから、ほとんど詩の天才だ。その一方で、詩集『血ん穴』(弦書房)の古賀忠昭のことも思わざるを得なかった。ハイカラな浪漫主義のもとに展開した白秋の詩世界に対して、その近所に生まれ育ちながらきわめてどろどろした表現でおのれの出自や精神世界を追いつめずには済まなかった異才、古賀忠昭。同じ柳川の地を土台にしつつ、2人はまことに好対照なのだな、と痛感する。
それともう1つ、北原白秋の少年時代を描いた長谷健の長編小説『からたちの花』を読み、感心した。白秋の育った時代や土地の雰囲気がよく分かるし、登場人物の性格・生き様についての掘り下げ方も深くて、昭和29年の作ながらみずみずしい読後感があるのだ。長谷健は「あさくさの子供」という小説で第9回(昭和14年)芥川賞を受賞した作家だが、昭和32年に交通事故により53歳で亡くなっている。今ではすっかり忘れられてしまっており、これは文学碑で顕彰するだけでなく、もっと作品そのものを積極的に見直すべきではなかろうか。