前山 光則
今、あちこちで桜が咲き、場所によってはほとんど満開の状態である。良い季節なのだが、単純には喜べない気分だ。3月11日の大震災以来、なにかにつけてテレビをつけてみる。被災地の状況が気になる。遠く離れた九州でも懐中電灯が品切れ状態になったりして影響が出て来ている。福島原発のことがまた厄介な問題で、これはかなり長期的に悩まされることになるのではなかろうか。
さて、前回は山梨民謡「縁故節」について触れたが、あれからまた歌のことで新発見があった。今度は歌謡曲のことである。
「砂山の砂を/指で掘ってたら/まっかに錆びた/ジャックナイフが/出て来たよ/どこのどいつが/うずめたか/胸にじんとくる/小島の秋だ」
言わずと知れた石原裕次郎のうたった名曲で、昭和30年代前半に青少年期にあった人なら必ず胸にじんとくるはずだ。わたしなどもカラオケを愉しむ時、これを選ぶことがある。そして、歌った後でいつも「石川啄木の世界だなあ…」と胸の内で呟いてみるのだった。啄木の歌集『一握の砂』の中の「いたく錆びしピストル出でぬ/砂山の/砂を指もて掘りてありしに」を連想するからであった。ジャックナイフとピストルとの違いがあるものの、裕次郎の歌も啄木の短歌もともに荒涼たる砂山が舞台で、砂を指で掘っている。息苦しくなるような熱い叙情がある。
そのような思いをずっとひそかに抱いていたのだが、今度、島野功緒著『昭和流行歌スキャンダル―そのときヒット曲は生まれた』(新人物文庫)を読んで真相を知ることができた。「錆びたナイフ」が世に出た時、若い評論家が「従来の歌謡曲にない着想だ、目のつけどころがいい」と歌詞を激賞したところ、作詞した萩原四朗本人は「あれは盗作ですよ」と言って「カラカラと笑った」らしいのである。この場合「盗作ですよ」とはものの喩(たと)えであって、作詞家は啄木の短歌を下敷きにして独自に歌謡曲の詞を創出した。いや、「下敷き」よりも少しスリリングに「パクッた」ことになるだろうか。そしてパクリはたいへんうまくいったのだ。自分が永年抱いてきた推理は当たっていたゾ、と嬉しくなったが、もっともわたしとしては「新発見」であっても歌の世界に詳しい人やファンの間では周知の事実だったのかも知れない。
それにしても、「錆びたナイフ」の歌詞に大いなる影響を与えた石川啄木の歌、詠まれたのは明治41年かと思われるが、歌の下地になっているのは北海道函館の浜であるらしい。そこの砂の中にピストルが埋まっていたというのは物騒な話だ。一方、歌謡曲「錆びたナイフ」が発表されたのは昭和32年である。ピストルが「ナイフ」に換えられているわけで、敗戦を経験して平和国家となったからには賢明な選択だったのだろう。