第70回 そゞろに胸の打ち騒ぐ

前山 光則

 この何日間か、散歩に出ると、あちこちで金木犀が良い匂いを放ち、川の土手ではススキが風に揺れている。もう秋たけなわである。
 一昨日は特に天気がよかった。そろそろ一階から上の方へ移ろうかなあ、と思い、屋根裏部屋へ這い上がって要らぬものを捨てたりしまい込んだりする。屋根裏全体が次第に片付き、小綺麗になっていく。不思議なもので、たったそれだけで気分が新鮮である。
 屋根裏部屋に置きっぱなしの本の中から、正岡子規の本が出て来た。ああそうだ、きちんと読み通すつもりだったのが、中途半端になっていたのだ。本を開いてみると、「ベースボール」と題した連作短歌9首が目に飛び込んだ。その中から3首引いてみる。

 ・九つの人九つの場を占めてベースボールの始まらんとす
 ・打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする
 ・今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸の打ち騒ぐかな

 明治31年、子規31歳の時の作である。すでに脊椎カリエスはだいぶん体をむしばんでいたろうが、まだまだ元気だ。ベースボール大好き人間のワクワクする胸の内を存分に表現していて、すがすがしいものがある。
 正岡子規がベースボール好きだったことはよく知られており、自分の幼名「升(のぼる)」にひっかけて「野球」と号したこともあるのだという。このことから、ベースボールに「野球」との訳語を与えたのは子規であると言われたりもするが、違う。子規の「野球」はベースボールにヒントを得ながらも、「やきゅう」とは読まないのだ。「野」は「の」、「球」は「ボール」、あわせて「のぼーる」である。
 ベースボールをはっきり「野球」と訳したのは中馬庚(ちゅうま・かのえ)という人物で、明治27年のことである。子規自身はそれをまだ知らぬまま、明治29年に随筆「松蘿玉液」の中で「ベースボールいまだ訳語あらず」と述べている。そして自分ではベースボールを「球戯」と訳してみているのだが、残念ながら中馬の「野球」の方が訳語としてしっかり定着したわけである。でも、その代わり子規は「打者」(ストライカー)、「走者」(ラナー)、「直球」(デレクトボール)、「死球」(デッドボール)という訳も試みており、これらはめでたく日本野球界に定着している。
 「今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸の打ち騒ぐかな」ーこの連作が成立したのは初夏の頃だったらしいが、いやいや、これは秋うららの日に読んでも実に心が弾む。天気の良い時に屋根裏部屋の整理整頓をしてみたことと正岡子規の本をふと手にとってみたこととが、赤い糸で結ばれているような気さえするなあ、などと思ったのであった。

▲球磨川の堤防に生えているススキ。今、穂先がスックとしてきれいである

▲アケビ。わが家の裏庭。もう少し待てば、アケビの実が割れて食べ頃となるのである

▲【追記】アケビの中身。以前、実が割れてからが食べ頃と書いたのは、マチガイ。食べ比べたら、まだ割れていない方がジューシーでうまかった! 謹んで訂正いたします(2011-10-19)