前山 光則
こないだの大相撲秋場所はワクワクした。結果的には横綱の白鵬が20回目の優勝を飾ったものの、12日目に関脇の稀勢の里に完敗し、翌13日目にも同じく関脇の琴奨菊のガブリ寄りに屈した。千秋楽の結びの一番を見るまでは優勝が決まらなかったので、ずーっとテレビ画面から目が離せなかった。
そして場所後には琴奨菊の大関昇進が決まった。久々に日本人大関、めでたいことだ。
この頃の相撲界は、野球賭博事件や八百長疑惑等の不祥事が続いてふがいなかった。だが、秋場所は優勝争いだけでなく全体的に迫力あるガチンコ相撲の連続で、これが続くならば相撲人気は必ず回復すると思う。
個性的な力士がいるのも楽しい。かねてからユーモラスなキマジメさで人気のあった高見盛が怪我して十両に落ちているのは、ちょっと可哀相である。だが、他にも個性派がいるわけで、前頭15枚目の新入幕力士・隆の山は体重98㎏。今時珍しいソップ形である。この力士の左四つになってからの上手投げは鋭い。9日目の臥牙丸との一番では体重差が100㎏あったが、どっこい、敗れはしたものの見応えある一戦だった。
隆の山を観ていると、昭和20年代半ばから36年まで幕内で活躍した鳴門海を思い出すのである。『明治・大正・昭和全幕内力士大鑑』(有峰書店新社)によれば、鳴門海は背丈が183㎝と長身だったが、体重はベスト時でもたったの87㎏。ソップ形の標本みたいな人だった。実にしぶとくて強くて、肥満の横綱・鏡里に堂々連勝したこともある。
それと、5日目に栃乃若(身長195㎝)を一本背負いで投げ飛ばした前頭9枚目の磋牙司は、身長が169㎝しかない。でも、背が低くても根性者だからこそ、磋牙司はあのような離れ業を放つことができたのだ。
2人とも負け越してしまい、殊に隆の山は来場所また十両で相撲をとることになろう。だが、めげるな、ソップ形! 大相撲の醍醐味は、大きな人も小さな人も一緒くたになって競い合うところにある。いわば完全な無差別級だ。背丈の低い磋牙司やソップ形の隆の山が大関・横綱に挑戦する姿を早く観たい。
ところで、なんで「ソップ形」と呼ぶのだろう。実は、少年の頃、祖母たちが鶏ガラでとったスープを「ソップ」と呼ぶのでバカにしていた。婆さんたちは英語をあのように聞き違えているゾ、と思っていたのだが、ひょっとしてその「ソップ」が語源だろうか。いやいや、まさか。で、確かめもしなかった。それが、今度『広辞苑』を開いてみたら、なんと「相撲で、力士のやせ形。ソップをとった出しがらの鶏骨のたとえ」と説明してあるではないか。やはり「ソップ」から来ているのだ。でも、エーッ、それならば「ソップ」は年寄りの聞き違えではないのかね、と、恥ずかしながら初めて知った次第であった。