前山 光則
このところ、ひまを見ては雪国の生活誌『北越雪譜』を開いている。前々回のコラムで福岡県小郡市の野田宇太郎文学資料館の収蔵品の中に『北越雪譜』初版本(天保8年刊行)があったと記したが、あれを目にしてから無性に読み直したくなったのである。
今、熊と人間との関わりが書かれたあたりを辿ってみている。熊のいる穴に雪が降り積もった場合、たとえ穴が雪に覆われてしまっても必ず「細孔(ほそきあな)」が生じるそうである。そこから木の枝を差し入れると、熊はうるさがって押し返す。何度もやっているうちに熊が動き出すのだが、穴の口へ出ようとするところを猟師が槍で突き、数匹の犬を使って噛みつかせて殺す、というわけだ。えらくスリリングなハンティングである。
かと思うと、「熊人を助(たすく)」と題した話が載っている。妻有(つまあり)の庄というところに住む老農夫が懐古談をするのだが、農夫が20歳の頃、薪(たきぎ)を採るために雪車(そり)を引いて山に入った。ところが、深い雪のため足をとられて、雪車もろとも谷に転げ落ちてしまったという。岩窟(いわあな)を見つけて潜り込み、奥の方へ分け入って行くと、なんだか温かいものに出会う。触ってみたら、なんと、熊ではないか。大いに肝を冷やしたものの、「殺さば殺し給へ、もし情あれば助たまへ」と、恐る恐る熊を撫でてみる。すると熊はゆっくりと動き、自分の体温で温もっている場所へ農夫を座らせたり、手のひらについている甘くて苦いようなものを舐めさせてくれたりする。ついには、熊と農夫は寝起きを共にするのである。
そして、ある日、熊は農夫を連れて外へ出る。雪をかき分けて、人の足跡の見えるところまで進んだあたりで熊は走り去った。農夫はわが家へ帰り着いたが、家では本人が亡くなったものとして「四十九日の待夜」の法事を営んでいた最中だったので、皆、ビックリ仰天するやら喜ぶやら、一座はたちまちのうちに祝宴の場となったそうである。
この話、実際にあったのか。もしかして、老農夫のホラ話であったかも。ただ、そうであっても厳しい気候風土の雪国にあって逞しく生き抜くからこそ吹けたホラではなかったろうか。越後塩沢(現在の新潟県南魚沼市)の縮問屋主人・鈴木牧之が一生かけて刊行したこの名著、何度読んでも興味が尽きない。
実は、雪景色の見られる時季ではなかったものの、平成21年の9月、東京へ出たついでに足を伸ばして現地を訪れてみたことがある。作家で鈴木牧之研究家でもある高橋実氏が、牧之ゆかりの場所をあちこち案内してくださった。今こうして『北越雪譜』を辿りながら、あのあたりの山や川が具体的に浮かび上がるので、思い切って行ってみてよかったな、と思う。むろん、雪のある時季にもう一度現地に入ってみたくもあるのだが……。