前山 光則
何日か寒さが緩んだのもつかの間、また寒波が来て、時折り雪が舞う。ほんとの春はまだなかなか来ないようである。
最近、熊本のラジオ局からお呼びがかかって宵の口の50分ほど生放送で喋る機会が生じた。その打ち合わせの際、話の合間には音楽もはさむので「4曲リクエストしてくださいよ」とのことであった。それならばと、まず民謡「球磨の六調子」を挙げた。刊行されたばかりの『球磨焼酎《本格焼酎の源流から》』(弦書房)のことも話題にしようと思っていたから、そうなると、かつて球磨・人吉地方では宴席を盛り上げるにはこの唄が欠かせなかったわけで、おあつらえ向きである。
次に思い浮かんだのが三橋美智也の「リンゴ村から」で、これはこの連載コラム第80回で触れたように、少年の頃、強烈に北国的ふるさと像が唄い込まれており、とても影響を受けた曲である。それから、橋幸夫の「雨の中の二人」。昭和41年、高校を卒業して東京へ出て間もなくの頃、神田神保町の定食屋で味噌汁を啜っていたら、テレビから「雨が小粒の真珠なら/恋はピンクのバラの花……」と流れてきたのである。これから自分はどうなっていくのだろう、働きながら自活してやっていけるだろうか、などと不安になっていた時に聴いたので、忘れられない。
そして、4曲目は「矢切の渡し」である。東京にいた頃、仕事も夜学も休みの日を選んで、時折り友人たちと葛飾柴又の帝釈天界隈に遊びに行っていた。参道の店を冷やかした後、江戸川に出る。そこに矢切の渡しがあって、安料金で向こう岸へ運んでもらっていた。ふるさと人吉で川っぷちに育ったせいか、こういう水のあるところは気持ちが和み、癒された。だから、「矢切の渡し」が流れてくると、東京でつかの間の安らぎを得ていた場所のことが懐かしく思い出されるのである。
そんなふうに考えているうち、なんだか胸が疼(うず)いてきた。俺ってこれら一つ一つの曲をたっぷり好んでいるのだなあ、と改めて自分の気持ちに気づいた次第だった。しかも、担当者にリストを渡す時、「矢切の渡し」に線を引いて「あのー、細川たかしではアカンですよ」と要求する始末。あれは、最初ちあきなおみが唄ったが評判にならず、しばらく経って細川たかしが引き継いで大ヒットしたのだが、どうも細川節ではしっくりこない。「ちあきなおみの、気怠(けだる)げばってん情感溢るる声でなくては、心が癒されんとですたい」、わたしが言うと、担当者は苦笑いしながらその通りにしてくれた。
「つれて逃げてよ/ついておいでよ/夕ぐれの雨が降る矢切の渡し/親の心にそむいて……」
スタジオでちあきなおみの「矢切の渡し」に聴き入りながら、わがままを言ってみてよかったなあ、と思った。寒さがぶり返し、いつ雪が舞っても不思議でない夜の、しみじみと心慰む音声、うっとりしたのであった。