第85回 雪の降る中、文学散歩

前山 光則

 2月2日(木曜)、八代市立図書館の文学散歩に案内役として加わり、筑後平野へ出かけた。去年、このコラム「本のある生活」の第56回で佐賀県神埼市の下村湖人生家と福岡県小郡市の野田宇太郎文学資料館を見てまわったことを書いたが、今回は図らずもそのとおりの道順で行くこととなったのだった。
 総勢30名が貸し切りバスに乗り込み、朝の8時40分、八代を出発。間もなく雪がちらつき始め、「やあ、雪だ!」とはしゃいだが、やがてじゃんじゃん降るようになった。八女インターを下りて筑後平野の中へ入った頃には、あたりはすっかり白一色の雪景色となっていて、ちょっと不安になったほどであった。だが、明治時代の初め頃に建てられたという下村湖人生家は、雪の中、実にしっかりとした姿で我々を待ってくれていた。和風の建物は雪によく似合うなあ、と思う。
 建物の中で、館長さんが下村湖人の生涯や名作「次郎物語」のこと等を詳しく語ってくださった。体が芯から冷えて切なかったものの、時折り窓の外を見ると、雪がはらはらと舞う。このような時に、「次郎物語」の世界を偲ぶ……なんという良い時間だったろう。
 吉野ヶ里で昼食をとった後、午後は小郡市の野田宇太郎文学資料館へと向かった。
 詩人であり、近代文学研究家であり、「文学散歩」という語の創始者である野田宇太郎の生涯を、専門員のYさんの懇切丁寧な説明を聞きながら見てまわるうち、昭和43年刊行の『定本九州文学散歩』正・続2冊があった。わたしは、この本を出版した東京の小さな出版社に昭和42年の秋から44年1月まで勤めていた。そして、担当編集者の使い走り役で野田宇太郎氏の吉祥寺南町の御宅にゲラ刷りを届けたり、赤字入れの済んだゲラ刷りを受け取りに行ったりと、結構頻繁にお邪魔していたのである。仕事に厳しい人だったが、会えば文学の話をたくさん聞かせてもらったなあ、と、懐かしかった。
 この野田宇太郎文学資料館には、野田氏から寄贈された蔵書3万冊余が収蔵されているので、それも一部分見せてもらった。雑誌「明星」や北斎漫画等々、一般にはなかなか手に入らぬ貴重な本ばかりである。みんなで感心しているところへ、さらにYさんが『北越雪譜』を出してくださった。これは凄い。野田氏は、越後塩沢(現在の新潟県南魚沼市)の縮問屋主人・鈴木牧之(すずき・ぼくし)が一生かけて世に問うた雪国生活誌を、それもちゃーんと天保年間の木版本を所持していたのだ。わたしは、御宅に出入りする頃にはすでに『北越雪譜』の文庫本を愛読していたから、あの頃そんな話も切り出せばもっと深くいろいろ教えてくださったはずなのに、あーあ、過ぎ去った時間は帰らないのだなあ…。
 雪の降る日、雪深い北国の名著に南国九州の一隅でお目にかかれて、言うなればこれが今回の文学散歩最大の収穫であったのだ。

▲下村湖人生家に到着。ちょうど雪がさかんに降っており、足許も悪くなっていた。だが、文学散歩参加者は高齢の人が多かったものの、皆さんたいへん熱心であった

▲『北越雪譜』巻頭序文。出版の世話をしてくれた戯作本作家の山東京山(さんとう・きょうざん)が、漢文による序文を寄せている

▲『北越雪譜』本文。京山の序文は漢文で読みにくいが、鈴木牧之の書いた本文に入るとこのように漢字かな混じり文なので読みやすい