第95回 藤の花ぶさみじかければ

前山 光則

 この頃、藤の花が美しい。三日前は女房と共にある小学校の藤の花を見に行った。その小学校では、生徒たちが藤棚の下で近所のお年寄りたちと一緒に昼食会をする慣わしがあるのだそうだ。心和む話題である。翌朝は、川向こうの市役所の藤棚を見物した。その他あちこちで藤を見かける。田舎暮らしはこういうところが豊かだな、とつくづく思う。
 藤の花と言えば、正岡子規の次の歌に格別の思い出がある。しかも、胸が疼(うず)く。

  瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

 昭和53年の夏、静岡県藤枝市に作家・小川国夫氏を訪ねた時のことである。昼間、当時静岡放送局にいたNHKアナウンサー宮澤信雄氏と地元の俳人・島村正氏にもつきあってもらって小川邸を訪問した。島村氏は、その折りのことを句集『燈台』の中で「熊本より来静の前山光則氏に同道、小川国夫氏を訪ねる」との詞書を添えて「高き木の高きにありて蝉鳴けり」という句を詠んでいる。小川氏を囲んで色んな話をうかがう中で、あれは何の木だったか、小川邸に大きな木が生えている。それにはピンクレディのケイちゃんこと増田恵子さんが幼い頃よく登って遊んでましたよ、などという話も聞けたのだ。と、まあ、その昼間までは穏やかだった。
 それが、焼津まで一緒に出かけたり藤枝へ戻ってきて町なかの料理屋で小川氏を囲んで酒を酌み交わしたのだったが、やがて小川氏が、今、若い頃親しんだ文学作品を読み直している。正岡子規の歌集も再読中で、「瓶にさす藤の花ぶさみじかければ……」は良い歌ですね、と言った。その時わたしはベロンベロンになった状態で「ちっとも良くない」と明け方近くまで小川氏に絡んだのである。小川氏は「あの歌は、藤の花房が短かくて畳に届かなかったという、そこに味わいがある」と説いた。しかしベロンベロンの若造は、「花房が、短かくて、畳に届かなかった。それだけのこと、どうってことないと思う」、こう言い張ったのである。二人の間で夜明け近くまで議論したが、小川氏はもちろんのこと、一緒にいた宮澤氏も島村氏も、よくまあそのような長時間我慢してくれたものであった。全然アルコールをたしなまない島村氏の証言によれば、藤枝では一升瓶が2本空(から)になったというが、覚えがない。ただ、子規の短歌のことで小川氏に猛烈に抵抗しつづけたことだけをしっかりと記憶している。
 若造の無茶苦茶な言い分を聞き流すことなくつきあってくださった小川国夫氏も、平成20年に亡くなられた。今、子規の「瓶にさす……」は、あれはやっぱり花房の短いところに病い篤き作者の心境が滲んでいるのだ、と同感する。その思いを伝えたいが、小川氏はもうこの世にいない。いないのだなあ……。

▲龍峯小学校の藤棚。彦一とんちばなしによく出てくる龍峯山の麓にある。さっきまで生徒たちが藤棚の下で庭で遊んでいたが、今は授業中。ひっそりしている

▲市役所の藤棚。わが家からここまで2キロの距離である。午前6時過ぎで、まだあたりには誰もいない。心おきなく藤の花を観賞することができた