前山 光則
今、新緑がすがすがしいし、花水木や藤の花等が美しい。良い季節である。
そのようなものを眺めながら散歩した後、『星永文夫の百・あらっこいしょ』という俳句集を開いている。著者の星永文夫氏は八代市千丁町の出身、現在は熊本市に住む俳人である。「あらっこいしょ」とは方言で、「あら驚いたあ」という意味だ。現在78歳だが、癌を病んでいるため、それで「その日のために、遺すはただこの冊子のみ」と今までの作品から「百」だけセレクトして編んだのだという。つまりは精選句集である。
なめらかな氷河を抱いて熟れる母
酒くさい父へよな降る 花いちもんめ
黒船を見たか 寒いね 兄弟
街灯は雨にて 春を排卵す
なんてんの実ほどの祖国 雪こんこん
こうして見てみると、普通の俳句とずいぶん趣きが違うということは一目瞭然だろう。そう、序文に「もっと解る句を詠めという/銭(かね)になる詩をつくれという/それができないのはさびしいが/できたら、私はもっとさびしくなるだろう」とある通り、星永氏は一貫して安定した俳句世界を拒否してきた。俳句的表現をどこまで深化・変化できるか挑まずにはいられず、定型を崩したり比喩のくふうを凝らしたりするので、このように難解俳人であり続けざるを得なかった。難解だが、挑み続けるからこそ常にいきいきしているのだ、と思う。句集の中から、わたしの好みでベスト5を抜き出してみた。
蟹(がね)煮て食うてよごとよごるるおなごの家
ふ・えの音の今夜おそろし銀のめし
水仙のすらりと余生見えてくる
駅前でまぶしい時代と一杯飲(や)ったが
禽(とり)ほど静かに朝(あした)死すべし 雪
「蟹(がね)煮て食うて…」と「ふ・えの音の…」は、おどろおどろしい修辞でありながら懐かしく土の匂いが立ち上ってくる。「駅前で……」、これは戦前・戦中・戦後と生きて来なければ出せぬ嘘偽(いつわ)りのない感慨ではなかろうか。「水仙の……」と「禽(とり)ほど静かに……」に表明されている境地、これを厳粛に受け止めておこうと思う。
さてそして、第1番の句からずっと読んできて、第100番が空白となっていることに気づかされる。つまり、作品数は「百」でなくて99句だったのだ。そして次のページに1行、「第100番は、その日の前の一句のために空けておく」と記されているではないか。この人はほんとに最後の最後まで新緑のように初々しい気持ちを持って、表現の深化を試み続けるのだな、と心から敬服した。だけど、こんなに元気では「その日」はまだなかなか来ないに決まっている。長生きしてくださいよ、とエールを送ろう!