第93回 叱られて

前山 光則

 旅の土産話をしているうちに桜の花が咲き始め、満開になり、散り初め、今日あたりはすでにもう葉桜状態に近い。でも葉桜は葉桜でみずみずしくて良いもんだなあ、と思う。
 ところで、旅から帰った翌朝、知り合いの人に土産を届けた。このコラム第55回で鰻釣りした話を書いたが、あの時のS氏である。時たま自分ところの畑で作った野菜を分けてくれるから、たまにはお礼しなくてはな、という気持ちだった。それで、お宅へ出向いたら、「あなた、長い間どけ行っとったな」、厳しい口調だ。なんでも、昼間わたしの家の前を通る時、車はあるのに声をかけても返事がない。夜は灯りもついておらず、こりゃ入院でもしたのではないか。それともふるさとの方へ出かけたか。あるいは遠いところへ旅行か、と案じていたらしい。「いやあ、その、旅行です」と答えるとS氏の声の調子がやや和らぎ、「この次から、どっか出かける時にゃ言うてくださいよ。毎日、家のまわりは見ておくから」と言ってくれた。
 それから10日ほどして、折しも桜満開、町内の有志20名ほど集まって花見が行われた。わが家のすぐ傍の公園が会場だったが、あいにく無情の雨が降ったので集会場に集まっての酒宴となった。その際、予定の時間になっても2人だけ御老人が来ない。そうしたら幹事役のM氏や会計係のB氏たちが、「昨日も家の前を通ったが、ひっそりしとった」「病気じゃなかかな」「一人住まいだけんなあ」「俺が見てこようか」と心配するのだった。やがて御両人とも10分ほど遅れて到着し、無事に花見の宴も始まったのだが、M氏やB氏に聞くと町内に一人住まいの御老人は結構多いそうだ。皆さんそこのところを正確に把握しているので、感心した。
 実は、旅先の東京で娘の部屋に泊まらせてもらいながら、思ったのだ。都会の中のマンションでは、隣りに誰が住んでいるのかが分からない。知ってはいけないような雰囲気があって、各々孤立している。そうすればプライバシーが守られ、誰からも干渉されずに気楽で自由な生活を送ることができるわけだ。だが、逆に言えばそれは部屋の中で息絶えても誰も気づかないことを意味する。しかも、事は都会に限るのでなく、新聞やテレビがこの頃よく田舎での孤独死も報じる。考えてみればわたしなども球磨川河口の三角州の中に暮らして三十余年、孤独死しなくて済むような人間関係に囲まれてきたかと言えば、自信がなかった。流れ着くようにして住み着いたものの、この土地で生まれ育った者ではない。
 だから、S氏から叱られてありがたいなと思ったし、花見の酒宴で皆が御老人の遅刻を気にかける様子を目にして、ちょっとホッとした。いやあ、なるべくなら孤独死はしたくないのだ。ひっそり死ぬことができても、結局は周囲に迷惑がかかってしまうのだから。

▲近所の公園。先日の花見はここで行われる予定だった。桜の木が何本もあって例年見事に咲くので、わざわざ遠くまで花見に出かける必要がない

▲葉桜。まだすっかり葉桜になっておらず、若葉が萌え出てきたが桜の花も残っている。今年は花がなかなか散らなかったなあ