第472回 男同士での夕食

 前山光則

 梅雨がいつ明けたのか、いやまだ明けていないのか、うっかり知らぬまま過ごしている。 確か、九州北部は6月4日に入梅宣言が出たのではなかったか。それ以後、ずっと梅雨の日々だが、雨の降らぬ日は結構蒸し暑い。雨の日には、逆にヒヤヒヤとするので、こういうのを「梅雨寒」というのであろう。
 梅雨が明けてからは酷暑の日々がやって来るのだろうか。それもまた憂鬱だ。
 ああ、早くすがすがしい秋が来ないかなあ、などとぼやきながら『日本大歳時記』をパランパランと捲っていたら、松尾芭蕉の句、

 暑き日を海に入れたり最上川

 というのが載っていた。有名な『奥の細道』の旅の途上、芭蕉は羽黒を発って鶴ヶ丘の城下で長山重行という酒井家の藩士の家に泊めてもらう。当然「俳諧一巻有り」となった。そして、翌日は最上川の川船で酒田の湊へと下る、といった旅のさなかに成ったのがこの句なのだそうだ。「暑き日を海に入れたり」などとは、実に味わい深い詠み方。さすが俳聖・芭蕉翁だな、と感心するしかない。
 ところで、数年前から、毎週火曜日と水曜日は独り暮らしの男3人で街へ出かけて、一緒に夕飯を愉しむ習慣が定着している。家の中で一人だけで食事をするのは、気分が晴れぬ。いっそ野暮な男同士3人、週に2回だけ街で一緒に食事しようよ、と、そのような主旨である。
 原則として、火曜日は麺類を食べることにしている。そして、水曜日にはいわゆる「定食」というか、普通の食事をする、ということにしてある。そうすれば変化があってよろしいゾ、というわけだ。実際、毎度なかなかに愉しい。
 いつも、わたしが自分の車を運転して、他の2人を送り迎えしてやっている。それというのも、わたしはもうだいぶん以前にアルコールとの縁を切っているから、である。後の2人には晩酌の習慣があり、それならば、安心して飲めるようにわたしが自分の車を運転し、彼等を送迎してやればいいわけだ、ということからこのようなシステムが出来上がったのだった。
 火曜日の「麺類の日」には、色んな店へ出かけてチャンポンとか、ラーメン、蕎麦、うどんなどを食べる。時折りインド料理の店に行くことがあるが、そこではこれといって麺類はない代わりに、ナンやインドカレーを食べるのである。そして、水曜、この日にはおおむねJR八代駅近くの料理屋で食事する。ここには幾種類かの定食があるので、毎度違ったものを愉しむという、これがいつものパターンとなっている。
 わたしがいつも愉しみにしているのは、火曜日の麺類ではうどんである。ある店では、ゴボウ天を載せたうどんが実においしい。これを注文して、さらに御飯であるが、高菜漬けを巻いたお握り、実にうまいのである。まず、最初にゴボウ天うどんをムシャムシャ、ツルツルと食べてから、次にゆっくりと高菜漬けお握りの方に手を伸ばす。うどんと、お握り。はっきり言って炭水化物過剰であろう。だが、構うものか。ちっとも気にせず食べている。何も毎日そんなことをやっているわけでないのだから、ここはひとつ、おいしいという満足感が味わえること、それが大切なのではないだろうか。わたしはそう思う。
 ある店では、暑い季節限定のメニューだが、「鰻丼セット」というのがある。そう、鰻丼に高菜漬けお握りがついており、千円ちょっとで食えるわけだ。鰻はたったの二切れしか載っていないものの、いやいやそれでも鰻丼は鰻丼、充分に満足できる。
 そして、水曜日は「刺身定食」が良い。幾種類かの刺身が皿に載せてあって、うまい。八代は海辺の町だから、魚が実に新鮮なのだ。
 わたしがアルコール類をたしなまぬのに対して、連れの2人は芋焼酎のお湯割りを愉しみながら、うどんを啜り、高菜漬けお握りに齧りつく。定食をパクつく。実にうまそうだ。わたしもまた、毎度おいしくてならない。ツルツル、ムシャムシャ、である。
 連れの2人は、毎度、焼酎のお湯割りを2杯までしか飲まない。もっと欲しいんじゃなかですか、と訊ねても、決して余分にはたしなまないから、その心がけの殊勝さにはいつも感心する。
 自分のことを言えば、正直なところ高菜漬けお握りに対しては100パーセント入れあげているわけではない。実は、ほんのちょっとだけこのお握りに対して不満があるわけで、いや、それはこの「高菜漬け」、新漬けのものを使ってある。これがなんとかならぬものであろうか、と思うのだ。
 小さい頃から、わが家の祖母が時折り高菜漬けお握りを作ってくれていた。それは、食事のときではなく、3時頃の「おやつ」であった。つまり、家の中にこれといって菓子などないのだった。家では、美容院をやっていて忙しい母の代わりに、祖母がいつも炊事をしてくれていたのだが、おやつについても「何か、なかな?」とせびればいつも対応してくれていた。作ってくれていたのが、高菜漬けお握りだった。しかもその高菜漬け、いわゆる「古漬け」であった。木桶の中で長いこと漬かっていた高菜の葉を、麦飯混じりのお握りにグルリと巻いて、「ほれ」とおやつに与えてくれていたのだ。口では、
「なーんや、婆ちゃん、また高菜お握りな」 と不平を言っていたものだが、実は内心たいへん嬉しかった。麦飯お握りを包んでいた古漬け高菜の特有の匂いは、今も懐かしい。何十年という歳月を経て、今、口にする高菜漬けお握り。おいしい、うまい、と言って毎度食べているが、実はこのような点においては「古漬け高菜を使ってほしいなあ」といいたいわけであり、少々ながら物足りない。
 ラーメン屋に行くときは、いわゆる「ラーメンライス」をすることが多い。これまた炭水化物過剰となってしまうのだろうが、しょっちゅうそのようなことをやっているわけではないから、許されるのではないだろうか。 あるいは、チャンポン。これはもう具材が色々入っているのだから、栄養のバランスは充分に保たれるであろう。
 時々行ってみるインド料理屋であるが、最初触れた通り麺類がない。だが、その代わりここはインド人の料理人さんが実際に作ってくれるので、ナンがまことにおいしい。そして、インドカレー。スパイスが利いており、毎度満足である。
 さらに、すでに述べたとおりで水曜日にはいわゆる普通の御飯、味噌汁、惣菜が揃った食事をする。その店は、魚が実に新しい。ついさっきまで生け簀で活かされていた魚が刺身となって出て来て、いつも、まことにおいしい。
 俺たち男3人、結構ぜいたくしているんだよなあ。実にありがたいことだ、と思う。

2026・7・2