第106回 続・河童を想う

前山 光則

 前回、近年は河童たちもヒマだろうなあ、と書いた。だが、この言い方は正確でなかった。確かに全国的にはそうだろうが、人吉盆地の場合、特記すべき状況があるからだ。
 人吉盆地の球磨川流域では、一昨年から盛んに河童が出没する。時期的には夏から初秋にかけてである。球磨川の河原とか橋の下、時には川で泳ぐ。焼酎瓶をぶら下げている時もあるという。結構多くの人が目撃したそうで、しかも、現れた河童を追跡する際に撮影に成功した人もいて、インターネットで「球磨川の河童」で検索すればその様子を動画で詳しく観ることができる。その動画によると、確かに頭に皿のようなものを載せ、背中に甲羅がある。手鰭・足鰭があって、顔は異形の様相で、河童以外のなにものでもない。ただ少し太って、動作が不器用で、腰が引け気味で、妖怪としての精彩がない。熊本県民の誇りであるくまモンのような、愛くるしい動きもできない。一方で、昔話に語られているような、子どもを水中に引きずり込むとか、作物を盗むとかいった悪さはまったくしない。
 河童は2匹ないし3匹いて、熊本県球磨地域振興局に飼われている由である。姿かたちや動作に妖怪らしさがやや欠けるのは、純粋川育ちでなく人間に飼われているせいであろう。だが、厳しい目で見るのは止そう。なにしろ目撃情報を振興局に寄せれば、抽選でプレゼントもいただけたのだそうで、一昨年・昨年と地域の子どもたちのみならず大人たちも熱心に河童を探した。振興局の河童は今年もそろそろ跋扈(ばっこ)するようだし、民間で河童を飼育するところも出ているようだ。こうした動きを見守ってやることである。
 ずいぶん前に柳田国男『遠野物語』の舞台である岩手県の遠野盆地を歩いた折りには、河童釣りをしたなあ、と思い出す。遠野市郊外を流れる川に河童渕と呼ばれるところがある。こんもりした森の中を流れる小川である。付近には『遠野物語』に「昔は六十を超えたる老人はすべて此蓮台野へ追ひ遣るの習ありき」と記された姥捨て伝説の遺る蓮台野(デンデラノ)があるし、水車小屋があったりして、独特の雰囲気がただよう。さて河童渕では、希望すれば案内人が釣り竿を持たせてくれる。仕掛けの先端に胡瓜(きゅうり)が結びつけられ、これをドブンと川に放り込む。しばらく案内人のうやうやしい説明が続いたあとは、心をむなしくして釣り糸を垂れつづけるのだ。河童からの応答は、あるはずもない。また期待もしていなかった。まことにバカバカしい遊びであるのだが、川の流れを見つめながら、なんと涼しかったことよ。
 河童釣りの真似事をするのさえあんなに心がなごんだのだ。球磨川では、運が良ければ河童を目撃したりプレゼントを貰えたりする。バカバカしい遊びって、ないよりもあった方がやはり愉しいのではなかろうか?

▲球磨川の最上流部。球磨郡水上村の最奥の谷である。この小さな滝のもう少し上、あと30分ほども登れば水源を見ることができる。河童よりも鹿がやたらと現れる

▲人吉市内を流れる球磨川。球磨川は急流で知られるが、人吉市中心部の城址(画面右側)前あたりではゆったりと淀んでいる。昔は夏になると子どもたちの水遊びの場だった