前山 光則
知り合いが、用事があって何日間か東京へ行ってきたという。「良いなあ」と羨んだら、「あんたもよく行くでしょうが」と笑われた。言われてみればその通りだが、田舎に暮らしていると時折り東京が恋しい。しかも、寒い時季にはこのコラム第117回で話題にした店が懐かしくなる。あそこはシチューとグラタンのおいしい店で、食べれば体が暖まるしなあ……いやいや、そうではなく店で出会った人たちのことが思い出されるわけである。
その店でアルバイトをしたのは、昭和44年1月から46年初夏の頃までの約2年半だった。歌舞伎座のすぐ裏にあるせいか、芸能人や結構名の売れている人たちもよく来た。そのような常連さんが店に現れたら丁寧な応対が必要だから、すぐに店主のおばちゃんに知らせるよう言い含められていた。そんな中に、喜劇役者の柳家金語楼さんも、時折り、付け人やご婦人連れでシチューを食べに来ていた。初めて店の入口にその姿を見た時、大声で「金語楼さんがいらっしゃいました」と伝えたところ、店内がドッと沸いた。「キンゴロー」と耳にするだけで、そのおもしろおかしい台詞(せりふ)やジェスチャーが思い浮かぶのだったろう。当時、そのようにも人気があったわけである。金語楼さんは渋い顔して坐った。わたしはおばちゃんから厨房の隅っこに呼ばれて、小声ながら「キンゴローサンなんて言ったから、他のお客さんたちが吹き出したでしょ!」ときつく注意された。
それで次に見えた時には「柳家さんがいらっしゃいました」と変えてみたが、また叱られた。「羊羹屋の社長さんと間違えちゃったじゃないのよ」、おばちゃんは大むくれだった。店の斜め前に「柳屋」という羊羹製造の老舗(しにせ)があって、そこの人もたまには来ていたからである。金語楼さんは以前と同様、渋い顔で黙々とシチューを食べた。
結局、「柳家先生がいらっしゃいました」とおばちゃんに伝えることになった。渋い顔してシチューを啜る金語楼さんには、まことに「先生」と呼ばれるにふさわしい風格がただよっていた。NHKの人気番組「ジェスチャー」や民放のドラマ「おトラさん」でおなじみの滑稽な喜劇役者という雰囲気はまるでなく、ただし不機嫌でも堅苦しいのでもない、疲れ切ってもいない。口数少ない年とった人が普通にそこにいて、持ち前の無愛想な表情をくずさないだけ、といった風情であった。
観客を笑わせる芸人が仕事から離れても同じ調子である、とは必ずしも言えないようで、プライベートな場では意外とあんな調子なのだろうか。もっとも、今度調べてみたら金語楼さんは昭和47年の10月に71歳で亡くなっており、そうすると、わたしがその姿に接したのは最晩年の時期なのだなあ、と感慨深いものがあった。体力や気力の衰えが風貌にも現れていたのだったかもしれない。