前山 光則
近所のあちこちで紫陽花や菖蒲が咲き、枇杷の実が熟れて、干拓地の池では牛蛙が鳴く。空がこのところ曇りがち、風が吹いても湿っぽいなあと思っていたら、5月27日、テレビニュースで梅雨入りが報じられ、やはりそうだったかと納得した。その梅雨入りの日、熊本市へ出たついでに映画館に入ってドキュメンタリー映画「先祖になる」(監督・池谷薫)を観た。なかなかに熱い映画であった。
舞台は岩手県陸前高田市の海辺である。平成23年3月11日の大震災で町全体が津波に襲われた中、生き残った佐藤直志さん。木こりを生業とし、震災当時77歳だったそうだ。この直志さんの長男は消防団員だったが、逃げまどう人たちを助けているうちに自らは波に呑まれてしまった。直志さんはその息子と先祖の霊を守るために元の場所に居続け、新たに家を建て直そうと決意する。だから市職員から仮設住宅への入居を勧められても断わった。直志さんの気持ちを理解して、近所の菅野剛さんがなにかと支えてくれる。一方で、直志さんの妻と息子の嫁は仮設住宅の方に移って行く。これはこれで無理もない判断であるわけで、海辺は津波に襲われた恐怖感がまだ生々しいし、息子が死んでしまった場所であり、いたたまれないものがあろう。
ともあれ、直志さんは自分で蕎麦を育て、稲を植えて自活するし、津波に洗われてしまった木を伐って新しいわが家の建材とする。やがて蕎麦の芽が出る、早苗が風になびく、地区伝統の喧嘩祭が若者たちの頑張りで再開される、直志さんは上棟式へとこぎ着ける。そして、新築なった家。直志さんは新しい家に入り、方々に散って行った人たちがまた帰ってきてくれるのを待つ。大震災に荒らされた郷土だが、再生しつつあるのだった。
この映画で圧巻なのはなんといっても佐藤直志さんの一徹さである。家族が離反しても自らの考えを崩さないし、行政からの勧めにも応じない。先祖代々守ってきた土地への愛着と息子の死を悼む気持ち。揺るぎない土着精神がある。しかも、癌も患っているというのに、働く時やインタビューに答えて喋る時の表情に実に邪気がなく、底抜けの明るさがある。「おはよー! 今日もがんばっぺしょー!」、直志さんが毎朝菅野さんたちへ向かって呼びかける声が、とても象徴的であった。
前回の「父と暮らせば」は原爆、今回の「先祖になる」は大震災。いずれも、大きな災厄から痛めつけられた後、人はどうやって再出発するのか。そうした点、共通するものがあった。観ていて人間ってしぶとい生きものなのだな、と嬉しくなるが、さて、実際に佐藤一家と同じ立場になったらどうするか。住んでいた場所にこだわるのが正しいのか、妻や嫁の選択の方が妥当なのか。わたしなどは、別な土地へ移って気持ちの安らぎを得ようとするのかもしれない。ほんとに判断が難しい。