第149回 横参道と湧水

前山 光則

 今、江戸時代の旅行家・古川古松軒の『西遊雑記』と橘南谿『西遊記』を開いている。古松軒は、天明3年(1783)、九州地方を旅した折りに肥後の国の阿蘇を訪れているが、阿蘇神社あたりは湿地で、道も社地のまわりも雑草が生い茂っている、などと記している。ははあ、やはりあの神社あたりは水気の多い一帯だったのか、と納得するのである。
 6月7日、近所のT氏に誘われて車に載せてもらい、あちこち遊びまわったのだが、阿蘇神社にも立ち寄ったわけである。T氏が、「阿蘇神社参道は、おもしろいですよ」とおっしゃる。だが、はて、駐車場で車から下りてもそれらしいものが見えず、参道ってどこにあるのかな。しかし楼門をくぐろうとして初めて神社前を横切るかたちに参道がついていることに気づいた。こういうのはあまり見かけないので境内で尋ねてみたところ、神職氏が「確かに横参道は珍しいですね」と頷いてから言うには、参道は南の方の阿蘇火口を向いているのだそうである。神社が阿蘇山との関わりで成り立つことを考えれば、至極もっともな理由だ。さらに、神殿そのものは都(みやこ)を向いている。古来から言うなら奈良、京都、そして現在は東京が都であるわけだが、いずれにしろ阿蘇の地から見れば東方に当たる。だから参道は神殿とはほぼ九十度違う方角を向いている、という次第である。
T氏に連れられて、総勢4人でその横参道を歩いてみた。楼門に向かって右手の方角に郷土料理屋とか蕎麦屋、酒屋、お菓子屋、喫茶店、時計店等がズラリと並んでいる。それぞれの店先には水が流れ出て、飲んだり手を洗ったりできるようにしてある。なんでもここらは商店でも一般の民家でも湧水を生活用水として使っており、それをよそから訪れた人たちにも愉しんでもらおうということでこうして水場を設けてあるらしい。そうか、ここは湧水の里でもあるのか、と感心したのだった。参道から外れたところに豆腐屋があったから豆腐や豆乳を買い求めたら店の人が寄せ豆腐をサービスに持たせてくれたので、参道に戻って水場の横のベンチに腰掛けてみんなで味見してみると、うまーい! 原料の豆だけでなく、使われている湧水の質も良いからこそ豆腐も上質のものになるに違いない。
 それにしても、阿蘇神社あたりは古松軒が来た頃よりも現在の方がはるかに賑わっているようだ。『西遊記』の橘南谿も古松軒と同じ年に訪れており、阿蘇山にも登るし、阿蘇神社に参拝している。しかも2晩泊めてもらい、ここは昔は社領も広かったとか、古くからの狩りの法式を伝えている等の故事来歴を神主が語ってくれた、と記している。ただ、神社周辺のことには触れていない。阿蘇神社の横参道や門前町の湧水に興味が湧いたから古松軒や南谿の本をひもといてみたが、もっと詳しい昔の記録はないものかなあ……。

▲阿蘇神社楼門。2層の屋根になっており、堂々として風格がただよう。国の重要文化財。楼門に向かって右の方にいろんな店が並ぶ

▲阿蘇山が見える。楼門に向かって左の方角。遠くに横たわるのが阿蘇山の一部である

▲参道に並ぶ店。楼門に向かって右手、いろんな店が並ぶ。1軒1軒が風情ある店構えで、町作りのセンスの良さがうかがえる

▲水基。店の軒先に設けられた水場は、「水基」と呼ばれているようだ。湧水は冷たく、しかし柔らかい感触である