第150回 お見舞いをしてきた

前山 光則

 最近、知人・友人が相次いで癌治療のため入院した。その内の1人、年上のE氏を数日前にお見舞いしてきたが、抗癌剤の副作用にめげず病院食を残さず食べておられるので安心した。ちゃんと食べるのは、即、病いと闘う意欲がしっかり備わっている証拠である。
 正岡子規の「仰臥漫録」を読むといい。35歳で果てるまで、脊椎カリエスの激痛にめげず、大好物の刺身をはじめとして色んな食べ物に執着する日々である。また、今わたしは水俣の詩人・淵上毛錢の評伝を執筆中であるが、結核性股関節炎でベッドに呻吟しながら子規と同じく35歳で逝ったこの人は、戦時中、しきりに惣菜のことを詩に書いている。「きんぴら牛蒡の歌」「焼茄子讃歌」「人参微吟」の3編がそれで、お総菜三部作である。物資の窮乏する中、御飯のおかずがきんぴらだったり焼き茄子、時には人参の煮たものしかお膳に上らない。しかしそうした貧しい食膳に毛錢は執着した。結核が死病であった時代、子規も毛錢も生きられるだけ生きたいから食うことにこだわった、と理解したい。食事への執着は傍目(はため)には浅ましく映じるかもしれないが、わたしはこの二人の闘病生活はたいへん好ましいと捉えている。
 むろん、子規も毛錢も癌患者と比べて楽だったかも知れない。癌の場合、抗癌剤点滴や放射線照射にはひどい副作用がつきもので、吐き気が生じるし、体がだるくなり、食欲もひどく減退する。結核性の患者よりもずっと困難な条件に耐えねばならないわけで、だから単純に比較したりはできないだろう。
 それと、E氏が4人部屋にいらっしゃるので、「相部屋がやはりいいですよね」と率直に言った。自分の入院生活を思い出したのである。2度目に癌をわずらった際、抗癌剤点滴により白血球が極度に減少したから、感染症の予防のため1週間ほど個室に入れられた。ところが、個室に1人で寝ているとロクでもない悲観的な妄想ばかりが湧く。はじめ下咽頭に生じた癌がリンパ腺に転移して、2個も余分な腫瘍ができていたから、怖くてしかたなかったのである。死への恐怖だ。一人きりでいるのが嫌で嫌でならず、白血球がある程度回復してから相部屋へ戻され、同室の数人の患者さんたちと雑談できた時は気分がサッパリとして悲観的妄想が吹っ飛び、食欲も回復した。他人と一緒の入院生活はわがままな人もいたりなにかと煩わしかったりするが、でもやはり相部屋で日々を過ごしてよかった、と思う。人は1人で生きているのではない。人と人とが結びつき合って生きるのだから、入院生活には相部屋が健全である。
 よく食べて、同室の人と愚痴をこぼしたり冗談を飛ばし合ったりして、寝るときには快癒した後どんなことをしたいか夢見てほしい。ーでも、ま、E氏はすでにこんなことも承知の上で闘病しておられるのだと思う。

▲紫陽花。小雨降る中、紫陽花の花を見かけた。濡れた青い色の花はとても鮮やかだ

▲雨後の虹。雨の上がった朝、土手を散歩していたら西南の方角に虹が立っていた。梅雨はうっとうしいが、こういうのが時たま眺められるので心が洗われる