第156回 涼みながら考えた

前山 光則

 今年の夏は格別暑い。地球温暖化にはひたすら耐えるしかないのだろうか。だが、7月14日に近所のT氏に連れられて山間部へ出かけた時だけは充分に涼むことができた。
 その日は総勢4人、朝から八代を出発し、まず美里町の内大臣渓谷での野鳥観察会に飛び入り参加した。谷には冷気がただよい、仏法僧がさかんに飛ぶし、よく鳴く。山の方から鶯の鳴き声も届いたりして、下界とまったく違った爽やかさがあった。渓流に架かる橋は内大臣橋という。この橋から飛び降り自殺する人が多いものだから、大人の胸の高さぐらいしかなかった欄干を50センチほど嵩上げしてある。しかし、本気で死にたい人なら簡単によじ登れるのではなかろうか。橋から下の渓流まで88メートルあるのだそうで、欄干にもたれて見下ろすと、吸い込まれそうな錯覚が起きてくる。緑豊かな大自然と一体化したい気分が湧いてくるので、これはやはり飛び込みたい人が出てくるはずだ。自殺の名所たる所以(ゆえん)が納得できる。
 県境を越えて宮崎県の高千穂渓谷へも行ったが、観光客がやたら多くてかんかん照り。運転役のT氏が、「山の中に来たかいがないなあ」とぼやき、帰りは阿蘇へまわろうと提案なさる。それで、帰途、高森峠を越え、南郷谷を抜け、それからまた阿蘇中岳へと登った。火口近くまで車で行けるからありがたい。標高は1300メートル程度であろうか、観光客がひしめいていたものの、寒いくらいに涼しい。そして、火口の雄大さ。天候の加減で靄が立ちこめていて底の方までは眺められなかったが、草も木もない荒涼たる一帯、火山ガスの臭いが強烈だ。この臭気は言うなれば地球の鼻息である。地球は生きている。ずっと地底深くではマグマが滾(たぎ)っており、いつ噴き出してくるか分からぬエネルギーがうんとこさ蓄えられている。火口を眺めていると、わが身のうちにもふつふつと沸き立つものがある。阿蘇山もまた自殺の名所だが、なぜまた火口へ飛び込もうという気になるのか理解しかねた。内大臣橋とは逆で、生きる意欲が湧いてくるのではなかろうか。
 若い頃に梅崎春生の小説「幻化」に感動を覚えたことがある。最後の場面で、主人公の五郎が旅先で知り合った丹尾という男と賭けをする。丹尾が火口を歩いて一周する。その途中で飛び込んでしまうか、あるいは歩き通して帰ってくるか、の賭け。丹尾がトランクを持って歩く。足の動きが緩慢だ。よろよろと火口を覗き込む。そんな様子を、五郎は有料の望遠鏡に十円玉を入れてつぶさに観察しながら、胸のうちで「しっかり歩け。元気出して歩け!」と叫ぶ。これは、飛び込まずに帰って来いと促しているのだと思う。お互い自己回復のために旅している身、無事帰ってくれば彼らは再生の実感がつかめるのである。そうした名作の最終場面が思い出された。

▲内大臣橋。昭和38年完成の橋で、昭和55年までは通行料が設けられていた、橋の上を通るのは林道で、右へ行けば国道218号線に合流する。左に行けば椎矢峠を経て宮崎県 椎葉村へ行くことができる

▲阿蘇中岳火口。とにかく火口のすぐ下まで車で行けるから、ありがたい。ただ、火山活動が活発な時には立ち入り禁止となる