第158回 東京の川

前山 光則

 数日前、テレビで、東京の隅田川や神田川・日本橋川等をぐるりと巡る遊覧船のことが話題になっていてそそられた。船が高速道路の下の日本橋近くへさしかかると、コメンテーターが「立派な橋ですよ。上を通る高速道路がなくなると良いのにね」と評していた。あるいは、神田川へ出てJR御茶ノ水駅の横あたりを行くときにはちょっとした渓谷になっており、乗客の一人が「今まで駅や電車の中から見ていたんで、とても新鮮な眺めです」と感激の声を上げる。専門家が江戸時代の石組みを説明する場面もあった。テレビを観ながら溜息が出た。これが40年ほど前であれば、そそられもしなかったろうからである。
 昭和40年代の東京の川は、川とは呼べなかった。単なる排水溝というか大きなドブで、どの川も茶色く濁り、異臭を放っていた。隅田川に鰻を放り込んだら身悶えして死んだそうだ、などという風説を耳にしたことがあり、本当なのかウソなのかあやしかった。しかし、いかにも本当らしく聞こえてしまうほどに汚濁していたのである。それとか、昭和48年に南こうせつとかぐや姫の「神田川」が大ヒットしたが、歌詞の2番に「窓の下には神田川」とあるから、歌の中の若者はドブ同然の神田川のほとりに住んでいたことになる。住んでいる部屋は、「三畳一間(ひとま)」。わたしなどもそうした狭いところに合計2年間生活した経験があるので、共感できる。東京の異臭を放つドブと「三畳一間」は、切り離せないやるせない思い出である。テレビを観ていてそのような昔のことがよみがえった。
 今なら、どうやら東京の川も遊覧に耐える状態になっている。実際、思い当たることがある。今年の春、佃界隈を歩いていたら、船だまりの水が透き通っていた。町の人が、「秋になればこのあたりにハゼ釣りに来る人がいますよ」と語ったが、はじめは佃から船に乗り込んで隅田川へ出て、海まで下り、沖合で釣るのだろう、ぐらいに受け止めていた。しかし、そうでなく船だまりで竿を振るのだと聞いてビックリしたのであった。隅田川の佃の渡し跡あたりから眺め渡してみて、あそこらはさすがに水も澄んではいなかったものの、少なくとも臭くはなくて結構気分のいい川風が吹いていた。船の往来も多い。高度経済成長期の東京では、空はスモッグがたちこめ、川や海は汚れきっていた。それが、以後、徐々に生活環境の見直しが進み、公害防止の取り組みが浸透して行った。その結果、近年はずいぶん面目を改めてきつつあるわけだ。
昔の東京はもっと川や運河があって「水の都」だった。銀座なども、もとは川に囲まれた「島」だったのである。それらが埋め立てられたり、干されて自動車専用道路と化した末に、昭和39年、東京オリンピックが開催された。遊覧船で巡ってみれば、「水の都」だった頃の名残りが少しでも味わえるかも?

▲隅田川。佃の渡し跡付近から眺めた景色で、画面右が上流。対岸に日本橋川分水路の水門が見えており、八丁堀や鉄砲州(てっぽうず)界隈である(2013・4・19撮影)

▲神田川。お茶の水橋から見た景色。このあたりは、江戸時代初期に掘削された人工の谷だそうである。画面右がJR御茶ノ水駅。左は湯島。下流に架かる橋は聖(ひじり)橋(2011・8・30撮影)