第173回 牧水の歌を読みながら

前山 光則

 この頃、若山牧水の作品を読んだり関係資料に目を通したりすることが多い。当然いろいろな感想も湧くわけだが、昨夜は有名な「かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」という歌にひっかかった。
 これは「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ」と同様、長野県の千曲川上流部、小諸で詠まれている。牧水は明治43年9月、園田小枝子との恋愛が破綻し、旅に出た。山梨県の友人宅に10日間滞在して後、小諸の友人・岩崎樫郎の勤める田村病院に来る。ここで約二ヶ月静養するが、その間に詠んだ短歌の内、世に知られることとなったのが「かたはらに……」「白玉の……」だ。当時、牧水は26歳だった。この味わい深い秀歌「かたはらに……」については滅びてしまった古城の秋の風情の中から詠まれたと理解する人がある一方で、そうでなく小枝子との失恋の痛手から詠まれた作だと受け止める向きも多い。しかし、これをすぐさま失恋と結びつけるには歌全体がさびさびしたトーンで似つかわしくないのではないか。むしろ、秋という季節が深まる中でしみじみと滅びたものへの思いに耽った作者、と受け止めるのが自然であろう。ただ、歌が成立した時点での作者はまだ青春まっただ中にあったのに、そのような若い作者が秋草に「ほろびしものはなつかしきかな」と語らせる、これは年寄り臭い。だから、あるいはそのように老成した表出をしてしまう裏側にやはり失恋による疲弊感がただよっていた、ということにはなるだろうか、などと考えたのだった。
 昨夜は、平成20年にその小諸へ出かけた時のことも思いだした。あのとき九州では桜が咲いていたが、小諸は雪が残っていてまだまだ寒かった。4月1日夕方、一度泊まったことのある小諸城址下の島崎藤村ゆかりの温泉宿・中棚荘で女房とともに酒を呑んでいたところへ、『不知火海と琉球弧』の著者・江口司さんが事故死したとの訃報が届き、呆然となった。さらに夜半には女房の叔父が亡くなったとの連絡も入り、あと何日間かは牧水ゆかりの地を巡ってみる予定だったのを急遽取りやめて帰ることにし、眠れぬ一夜を過ごした。翌日、信州大学教授の遠藤恒雄氏が午前中だけ城址の懐古園や旧小諸本陣、若き日の若山牧水が逗留した田村病院跡等を案内してくださった。ちょっとでも牧水関係の場所を観せてあげたい、とのご厚意だった。小諸の城址は感じの良いところだし、町なかは古い家並みが遺っていて雰囲気があった。でも、遠藤氏の後をついて歩きながら、正直、放心状態だった。あれから早くも6年経つのだ。小諸にはもう一度行って、じっくりゆっくり歩いてみたいとの思いが強くなり、熱くなり、なんだか落ち着かない夜となってしまった。
 こうした調子では今年もあちこち旅しそうだ。ただ、暇はあっても懐が寂しいなあ……。

▲しなの鉄道・小諸駅。旧信越本線時代は乗降客で賑わった駅だそうだが、新幹線が横を通り抜けてしなの鉄道の一駅とされてからはさびれてしまっている(2008年4月1日撮影)

▲小諸城址懐古園の牧水歌碑。城の石垣に直接「かたはらに秋くさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」と刻まれている。だから、気づかない人が多いが、こうした自然な感じの石碑は好きだ。「秋くさ」は、全集では「秋ぐさ」となっている(2008年4月2日撮影)

▲小諸市の町並み。小諸は昔の北国街道の宿駅であった。だから、宿場町としての風情が今も濃厚に遺っており、散策していて飽きのこない町だ(2008年4月2日撮影)