第193回 ひゃくんちぜきと高塚山

前山 光則

 こないだ新聞を読んでいて、この頃は百日咳に罹る人が少なくないから油断できない、といった記事が目につき、ちょっと驚いた。
 わたしはこの病気を「ひゃくにちぜき」でなく「ひゃくんちぜき」と訛って記憶していたので、方言だろうと思いこんでいた。それで広辞苑で調べたら、これは百日咳菌によって主として小児が罹患する呼吸器感染症だとのこと。おや、そうだったのか。しかも、百日咳に罹った人に何十年も出会っていないから、もはや現代日本人には無縁の病気なのだと決めつけていたが、今もまだ罹患する人がいる。認識を新たにしなくてはならなかった。
 わたしの場合、小学校の低学年の頃に百日咳を経験した。名の通りいつまでも咳がつづく。それも、ひどく噎せたり吐き気まで催したりする。幼いながらにつらかった。親がまた心配して、病院に連れていく。だが治らない。それならばと両親がバスに乗って連れて行ったのが球磨郡山江村の高寺院という寺であった。お参りをした後、そこのお坊さんなのか祈祷師だかよく覚えてないが、掌になにか難しい字を墨書してくれた。これで「ひゃくんちぜきの治るバイ」というのである。だが、効き目は現れなかった。すると、さらに今度は父が人吉市の南、鹿児島県との県境に接するあたりに聳える高塚山(標高624メートル)という山へわたしを引っ張って行った。頂上の小祠にお参りすれば万病を治してくださるから、というわけである。ゴホゴホと咳に苦しむ子を、あえて山に登らせるのである。秋の深まった頃だった。険しい山道で、喘ぎつつ、咳き込みつつ進む。道は丸太がレール状に並べてあり、なんでそうなっているか不思議だったが、やがて上から「ソイ、ソイソイ」と男の人の声がして、材木を積んだ橇が下ってきた。そこが木ン馬(きんま)道であるということを、初めて知った。そして、頂上に着くと、他にも登山客が何人も来ていた。小祠にお参りして、弁当を開く。麦飯のお握りと、おかずは塩鯖の焼いたのとラッキョウの甘酢漬だった。弁当の中身が恥ずかしくて隠しながら食べていたら、近くにいた大人が卵焼きを分けてくれて嬉しかった。でも、ひゃくんちぜきはやはり良くならなかった。
 わたしにとっては懐かしい思い出であるが、百日咳について再認識したのと相前後して、他ならぬその高塚山で事件が起きた。静岡県浜松在の中年男性が人吉へやってきて女子高校生を殺害し、山腹の駐車場近くの山林に遺棄したのだという。あのあたりは人が頻繁に行くようなところではないものの、山好きな人間にとっては昔から親しまれている一帯だ。そして地元民にとっては山頂の小祠は素朴な聖域だ。とんでもないことをやらかしたものである。殺された女子高校生が不憫でならず、これに比べたらわたしの百日咳の思い出などは他愛もない茶飲み話に過ぎない。
 
 
 
写真 鬼灯(ほおずき)

▲鬼灯(ほおずき)。ある道の駅で見かけた。ああ、もうそういう季節だなと思った。見ているうちに五、六本売れていったから、買い求める人は結構多いようだ