第205回 初めての佐伯

前山 光則

 11月1日と2日、10人連れで大分県佐伯市へ遊びに行った。佐伯は初めてだったが、前面にリアス式の変化に富んだ海があり、すぐ後ろには山々が迫る。美しい町である。
 一泊した朝、宿のすぐ近くで「鶴谷(つるや)学館跡」と記された記念碑を見つけた。ははあ、国木田独歩が勤めた学校はここにあったか。独歩は、明治28年9月、22歳の時に徳富蘇峰や矢野龍渓のすすめで弟の収二を伴って佐伯に来ている。鶴谷学館では若いながら教頭であり、英語・数学を教えたそうだ。理想主義的な点がうるさがられて排斥運動が起こり、たった十ヶ月で東京へ去るが、しかし後に佐伯を舞台にして「欺かざるの記」「源おぢ」「春の鳥」等いくつも作品を書くから、この町での日々と見聞は心に刻まれたのではなかろうか。
 渡し船の船頭で、不幸にも美しい妻を亡くし、かわいい子は溺れ死ぬという不幸がつづいた源叔父。孤独の日を送るが、やがて乞食の子を引き取って世話をしてやる。だがその子も行方不明となってしまうという、かわいそうな男を描いたのが「源おぢ」である。「春の鳥」は高校生の頃に教科書に載っていて知った作品で、これに登場する六蔵という少年は知的障害がありながら自然児で、鳥が大好きだ。ある日、彼は行方知れずになり、やがて城山の石垣の真下に彼の亡きがらが見つかって母親は悲しむ。少年は鳥になりたくて石垣から跳んでしまったのではないかという、実に切ない話である。
 朝食を済ませてからみんなで佐伯港へ行き、海王丸という大きな帆船を見た。そのあとは町へ戻って散策。城跡には石垣の他は櫓門が残っているのみで、こういう飾り気のなさは好ましい。「春の鳥」に描かれた城山のてっぺんまで上がれば四国の方が眺められるそうだが、あいにくひどく曇っていて眺望が悪そうだったから諦めた。しかし城山の麓一帯は武家屋敷やら寺があり、毛利二万石城下の名残りが味わえてなかなか気分良かった。独歩が下宿していた旧坂本家が残っていて、「国木田独歩館」と名づけられ、資料類がたくさん展示してある。この家の当時の当主は坂本永利という人で、他ならぬ鶴谷学館の館長(校長)であったそうだ。入ってみると、建物自体がよく保存され、ことに二階の天井の低さはおもしろい。独歩はこの二階に弟と共に寄宿したのか。すぐ裏は城山だから、いつでも散策できたろう。「春の鳥」に城山が出てくるのは、いわば必然だったわけか、などとしばらく思いをめぐらせたのだった。
 そのあと、船頭町という町内で糀屋(こうじや)本店やその隣りの菓子店へ入ってみた。糀屋本店は、なんと塩糀ブームを捲き起こしたところなのだそうだ。さっそく買い求めた。さらに菓子店では甘酒饅頭に塩糀を用いると聞いたのでみんなで蒸かしたてを立ち食いしたが、これがまあほんとにおいしかった!
 
 
 
写真①鶴谷学館跡

▲鶴谷学館跡。今あるのは大分信用金庫新屋敷支店。学館跡ということを示す記念碑が出入り口の右脇に見える。碑の説明文によれば、明治23年に「毛利高範子爵が郷党子弟の中等教育のために設けた私立学校」で、製紙工場を改造した簡易な二階建てだったそうだ

写真②国木田独歩館

▲国木田独歩館。すぐ後ろは城山。独歩館の前の道は山際通りと呼ばれているそうだ

写真③糀屋本店

▲糀屋本店。創業は元禄2年(1689)というから、300年を越える歴史を持つわけである。現在の当主・浅利妙峰さんは海外での塩糀普及活動にも力を入れているのだという

写真④甘酒饅頭を食べる

▲甘酒饅頭を食べる。日曜日だからいつもなら休むのだが、特別注文が入ったため仕事をなさっていたそうだ。蒸したてを若奥さんとお子さんが運んできて、お茶まで出してくださった。ほんわかした甘さの饅頭、散策の疲れが癒される味わいだった