第204回 柿を食いながら

前山 光則

 数日前、日本晴れで実に気持ちよかった。
 昼、庭の柿の木の様子を確かめた。幼木を植えたのが20年ほど前である。俗に「桃栗三年、柿八年」というのにわが家の柿の木は10年経っても実をつけず、ようやく生ってもすぐ落果する。それが、今年は実がびっしり生った。雨風にうたれても落ちない。「摘果すれば大きくなるよ」と知人から意見された時にはすでに遅くて、直径6センチ程度しかない小粒の実が鈴生りの状態のままで秋を迎えたのだった。わが家だけでは手に負えないから、次々に知り合いに分けてさしあげた。
 木に残っている柿を数えたら、まだ106個もあった。日に照らされてツヤがあり、良い色である。1個もいで噛んでみると、まずまず甘い。モグモグしながら浮かんだのが、

   柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺   正岡子規

 この俳句である。ん、だが、これってどこが良いのだろう、と素朴な疑問が生じた。柿を食っているところへ、法隆寺の鐘が鳴る。情景はこれで言い尽くせるわけで、でもそれが何だというのだろう。だいたい子規の句には、他にも「ある僧の月も待たずに帰りけり」とか「鶏頭の十四五本もありぬべし」だとか、ほんとは奥深い趣きがあるのだろうがサラリと言ってあるので真意を理解しかねる句が結構多い。この「柿くへば……」もそのタイプだろう。いや、しかし、待てよ。もし今の自分のようにこんなにして柿を頬張っている最中に寺の鐘がゴーンと響いたら、後ろから不意に肩を叩かれた感じで面白かろう。無心にモグモグやっていたならばなおさらで、柿食うこともいっとき忘れて鐘の音に聴き入るのではなかろうか――、そう考えれば、やはりこの句は優れているような気もしてきた。
 それで、家の中に入ってから山本健吉の『新版現代俳句』を開いてみた。この本によると、句ができたのは明治28年の10月下旬である。子規は28歳だった。ふるさとの四国松山から東京へ戻る途次に三日ほど奈良へ立ち寄ったが、法隆寺の茶店で憩いながら詠んだ作だそうである。「行く秋をしぐれかけたり法隆寺」、これもその日の作で、つまり時雨が降るほどだから寒々しい、冬近しと実感させられる天候だった。だが、柿はよく実っている。大和地方は柿の産地である。奈良にも、その近辺にも柿の林が見えていた。無類の柿好きである子規にとってたいへん嬉しい風景だったようである。法隆寺だけでなく東大寺の鐘を聴いたときにも柿を味わっていたというから、いかに柿を好んだかが窺える。
 長い歴史を伝える古都、奈良。法隆寺の茶店で、大好物の柿を食う。無心にムシャムシャやっていたろうが、そこへ「ゴーン」と奥ゆかしい音。子規はどんな表情を見せただろう。なんだか笑えてくるような気もしてきた。
 
 
 
写真 わが家の柿の木

▲わが家の柿の木。何回にも分けて採った後、これだけ実が残っている。さほどないように見えるだろうが、違う。106個もあったのでビックリした。ほんとに小粒の実ばかりである