第211回 偶然の一致

前山 光則

 先日ある会合に出席したら、知り合いの人が高島易断所の暦本を手にして近づいてきて、「種田山頭火ちゅう名はこれから来ておるてなあ、知っとった?」とおっしゃる。「山頭火」というのが運勢判断の「納音(なっちん)」に由来するということを誰かに教わり、暦本を見たらその通り出てくるので驚いたのだそうだ。納音とは、60通りの干支に五行(木・火・土・金・水)を配して種々の名称をつけ、それを人の生年に当てはめて運勢を判断することをいう。そう、山頭火こと種田正一は明治十五年生まれ。その年の納音は『楊柳木』だが、それは採らずに長流水とか沙中金とか30種ある納音の中から『山頭火』というのを見つけて気に入った。それで自身の俳号としたらしい。ちなみに山頭火の師事した荻原(本名幾太郎、後に藤吉)井泉水は明治17年の生まれだが、この場合はその年の納音がまさしく「井泉水」だったそうである。
 それで思い出したが、木下信三著『山頭火虚像伝』によれば大正13年2月1日の「北羽新報」に山頭火の名で「外骨について」という論説が載っているそうだ。明治時代に新聞人・世相風俗研究家としてユニークな活動をした宮武外骨のことを、「山頭火」が書いているのだ。その頃の山頭火は熊本にいたのだが、遠い東北の新聞とも関係があったのか。しかしよく調べた結果、島田五空なる人物の俳号であることが判明したのだという。五空は秋田県の能代にあって他ならぬこの「北羽新報」を創刊した人、つまり新聞人だった。しかも俳句も詠み、著述や句を詠む際の号を納音に求め、「山頭火」と名のっていたわけである。同じ時代に、東北の秋田に島田山頭火、南の熊本に種田山頭火がいたことになる。
 こういう話になると、もう一つ思い起こす名がある。それは「牧水」である。歌人・若山牧水は明治18年、宮崎県の生まれで本名は繁(しげる)である。延岡の中学校時代の途中から「牧水」と号した。これは母親の名が「マキ」なので「牧」、さらにふるさと坪谷(つぼや)の谷川に慣れ親しんで育ったから「水」、それで「牧水」としたのである。これより昔にもう一人「牧水」がいた。江戸時代の終わり頃、越後の塩沢にあって雪国ならではの悲喜こもごもの生活誌『北越雪譜』や紀行文『秋山記行』等を著した鈴木牧之についてこの連載コラム第87回で紹介したことがあるが、この人は本名・義三治である。「牧之」はこの人が著述・句作をするときの号であった。そしてこれは、実はその父・鈴木恒右衛門の俳号「牧水」を意識しての名乗りだった。もともと恒右衛門が家業の縮仲買や質屋業のかたわら「牧水」と号して句を詠み、土地の文芸仲間たちとの句会を愉しみとしていたのである。偶然の一致である。
 ヒマな話をするうちに年も押しせまってきた。皆さん、どうぞいい年をお迎え下さい!
 
 
 
写真 牧水生家前の坪谷川

▲若山牧水生家前の坪谷川。宮崎県日向市東郷町。坪谷川は耳川の支流の一つである。牧水の「牧」は母親マキにちなんでいるが、「水」はこの故郷の清流を意味している。平成20年3月29日撮影