前山 光則
3月9日(月)、車を走らせて水俣市へ出かけた。この日は詩人・淵上毛錢の命日である。淵上毛錢を顕彰する会の主催により墓前祭が行われるというので、参加したのだった。
午前中は雨だったが、午後は止んだ。午後1時40分、水俣市役所に車を置いて裏手の秋葉山の方へ坂を5、6分歩く。左手の山腹に人影が見えて、30名を越えていそうな感じである。そちらの方へ登っていくと、毛錢の墓を囲む顔ぶれが、老いも若きも男性も女性も揃っている。男女の別はともかくとして、若い層は来ないだろうぐらいに高を括っていたので、正直ちょっと意外な気持ちだった。
2時、開会。顕彰する会の事務局長で寺の僧侶でもある萩嶺強氏の読経に合わせてみんなで手を合わせ、礼拝し、その後、毛錢の詩「ぶらんこ」をコーラスグループが歌った。
ぶらんこに
乗つて
仰向けに
ゆられてゐると
オルガンを
聞いてゐるやうだ
明日も
オルガンに
乗つて
あの
雲に逢はふ
毛錢の詩は曲がつけられるとまた一段と映えるなあ、と感心した。次いで他の詩の朗読が行われ、わたしもちょっとだけ喋ったりして墓前祭は30分ほどで終わった。墓に背を向けて下方を見わたすと、毛錢の住んでいた町内が広がる。水俣川の堤防の少し手前に二階建ての古い家が見える、そこが毛錢生家で、つまり毛錢は自分の家をはるか下方に見下ろせる場所に眠っている。昭和25年3月9日に35歳で逝った毛錢。ブランコに乗って雲に逢おう、などという気の利いた感覚の持ち主だから、死後の眠りは快適でなくてはならない。この眺めだと不満はなかろう。
墓前祭の後は萩嶺氏の東福寺に移動して懇談会が開かれて、2時間近く毛錢にまつわる談義が盛り上がった。4時過ぎにお暇したのだが、なんとも名残惜しい気分だった。毛錢はエッセイ「詩について」の中で、詩は「詩神との私語」であり、しかも「無闇に凝つた字句の使用や、変転極まりない種々様々の『傾向』等に、真の詩神は宿りはしない」と断言している。いかにして平明な表現に辿り着くか、病気と闘う以上にそれを必死で追い求めたのが毛錢だったのだなあ。だから、今も年齢や性別に関わりなくファンがいるわけだ。今日の「ぶらんこ」も実に分かりやすくて味わい深い詩だ。……帰りがけ、そんなことをしきりに考えながら車を運転したのだった。