第222回 散歩道とダム

前山 光則

 この頃、夜明けがだいぶん早くなった。冬場は朝飯の後でないと暗くて散歩できなかったのだが、今は朝起きてすぐからでも大丈夫だ。よく歩くのは球磨川の分流、前川の土手道で、緊急時以外は車が通らないし、河口では間近に八代港が、さらに遠く天草島も見わたすことができる。満潮時と干潮時で様相が一変するので、景色の変化を見るのが好きだ。
 ところが、一昨年の秋の終わり頃からだったか、この前川河口に車が入るようになった。ダンプカーが土砂を運んできて、堤防の外側へ捨てる。海は土砂で埋まってしまうが、そこへショベルカーが来て均していく。これがひとしきり続くと、小さな新地が出来るのである。歩いていてダンプやショベルカーに出会ったら脇に寄ってやらねばならない。土手道は広くないから気が気ではない。また、大型車の行き来で道が傷んでしまってあちこちに凸凹が生じ、雨の日には水溜まりができて歩きにくい。海を埋めることからして許せないし、土手道が歩きにくくなったのも癪に触る。国土交通省に抗議しようかな、とひそかに考えていたら、知人が「あれはな、荒瀬ダムの方からヘドロを持って来よるとばい」と教えてくれた。ははあ、そういうことなのか。
 荒瀬ダムは河口から球磨川をさかのぼること約20キロのところにあって、平成20年11月27日に県知事が撤去を正式表明し、24年9月1日から工事が始まった。ダム取り壊しは日本国内で初めてのことだそうで注目されており、わたしなども人吉市方面へ出かけるときには必ずダム堰堤の横で停車して工事状況を見物するようにしている。工事は、鮎が川を溯ったり下ったりする時季を考慮したり、土砂が一気に下流へ流れ出さぬよう工夫を加えたりするなど、環境へ配慮しながら行われている。だから見ていて遅々として進まず、工事終了はいつ頃になるのだろうか。荒瀬ダムは昭和28年に建設工事が始まり、30年には竣工している。たった2年で完成しているわけで、それに比べて撤去工事はこんなにも時間と手間をかけて行われている。
 つまり前川土手の外側へ運ばれてくる「ヘドロ」は撤去工事の一環であり、ダム湖内に溜まっていたのをそのままにしていたのでは洪水時に一気に下流へ流れ出てしまう畏れがあるから、こうして少しずつよそへ運び出しているのだという。それならば前川も球磨川の枝分かれした河川。本来ならば上流から少しずつ流れてきて堆積すべきものが、今こうして運ばれてくるわけか。納得したのだった。しかも、知人は「ヘドロ」と呼ぶが、見てみる限りヘドロではなく、普通の土砂である。
 ダム堰堤の一部はすでに取り払われて、昔の流れが蘇っている。今年の若鮎たちはそこをスイスイと遡ることができるのだ。鰻や川蟹や手長蝦も上っていくだろう。いや、現在、実際にそうなっている。ワクワクするなあ。
 
 
 
写真①前川土手からの眺め

▲前川土手からの眺め。ここは河口。向こうの方に八代港が見える。画面下に少しだけコンクリート壁があるのは堤防。荒瀬ダムから運ばれてきた土砂には、もう今では菜の花も咲いている

 
 
写真②撤去工事開始前の荒瀬ダム

▲撤去工事開始前の荒瀬ダム。3年前の写真。ちょうど梅雨季で、やや増水気味だった。平成24年6月22日撮影

 
 
写真③昔の流れが戻ってきた

▲昔の流れが復活した。右岸から眺めた現在の荒瀬ダム。水門二柱が取り壊され、川の水はスムーズに流れている。右岸側から取り壊したのは、こちらの方が本来の流れだったためだそうだ