第252回 久しぶりに出くわした人は

前山 光則

 先日、ある喫茶店でかねてから尊敬しているM氏と一緒にダベッていたが、斜め先の席に坐っている御老人のことが気になってきた。あちらはあちらでわたしの横のM氏のことが意識されるふうで、チラチラ窺っている。どこかで見かけた顔だが、思い出せない。やがて、あちらの方が身を乗り出し、「あの、Mさんではございませんか」と声を発した。「わたし、U、ほら、通町で隣保班だった」。Mさんはキョトンとしていたが、じきに眼が輝きを発して「はいはい、パン屋さんの近くのUさん。お元気だったですか!」と喜びの声。二人の間で思い出話が弾んだことは言うまでもない。いや、わたしの方も「パン屋さんの近く」というだけで記憶が蘇った。
 Uさんは、30年ほど前までラーメン店を営んでいたのである。わたしは隣りの町内にあった高校の定時制に勤めており、よく食べに行っていた。小さな店だったものの繁昌していた。コシのある麺を使い、茹で具合も良い。豚骨スープはコクがありながらしつこくなかったので、飽きのこないラーメンであった。あの店をやっていた人か。よくよくお顔を見れば、ずいぶんと老けこんで痩せておられるが、端正で澄んだ目つきで、間違いなくかつてのラーメン店主Uさんである。
 MさんとUさんのやりとりの中へあえて割り込んで、「あの、なんでまた急に店を閉められたんですか」と質問をした。昭和が終わろうとしていた頃、店に来る客は高校生を主にして相変わらず多かったのに、ラーメン店は突然閉店してしまった。なじみ客としては大いに困ったものだが、どんな事情があったのか。するとUさんから「切りをつけたとですよ」と、すぐさま答えが返ってきた。なんでも昭和20年代にUさんの家はたいへんな借財を抱えた。食うや食わずの状態に陥り、苦し紛れに始めたのがラーメン店だった。とはいえ、まったくの素人。何から何まで自分だけでくふうを重ねる、手探りの日々だったという。昭和の終わり頃になって子どもも大きくなって自立し、たくさんの負債も清算し終えることができた。そんな折り、店に来ていた客がラーメンをうまいうまいと食べて、スープまでをも飲みつくし、「こんなおいしいのは初めてだ」と誉めてくれたそうだ。「よし、今まで苦労した甲斐があった。これでラーメン屋稼業にはケリをつけよう、と決心できました」とUさん。「エッ、誉められたから辞めたとですか?」「はい、潮時が来たんだ、と」、さっさと店を閉め、熊本市内に娘さんが住んでいたから自分たち夫婦もその近くに移って行ったのだそうだ。「後はアルバイトにタクシーの運転手をしたり、守衛に雇われたり。今は、ゆっくりしてます」、そこまで語ってからUさんはカラカラと笑った。
 客に激賞されてケリをつける……、格好いい幕の引き方だ。しかし、後に残された馴染み客たちはとても寂しかったのだ。Uさん、今だってあなたのラーメンを啜りたい!
 
 
 
写真 八代市の通町商店街

▲八代市の通町(とおりちょう)商店街。Uさんの店はこの界隈の中にあった。当時は賑わっていたが、今ではすっかり寂れてしまっている