第253回 安里川の河口まで

前山 光則

 3月12日から15日まで沖縄県那覇市に居た。11年ぶりの沖縄旅行だった。
 12日は文芸関係の大事な催しに出席したので自由な時間が持てなかったが、翌日からは観光ができた。13日、まず朝の9時から、前日の催しで一緒だった若い女性Nさんにつきあってもらい、安里川沿いを河口まで歩いてみたのである。これは首里城近く鳥堀町の弁ヶ岳に水源を持つ、全長7キロほどの短い2級河川だ。Nさんとわたしは、国際通りの端っこ、ゆいレール(モノレール)牧志駅前から出発した。そこは蔡温橋がかかっており、なんだか歴史的に由緒ありそうな場所である。といっても、川は水が満々としていてもやや汚れており、やはり街なかの川だ。護岸に珊瑚石灰石が用いられていて、沖縄的ではあるなあ。しかし、満ち潮時にはチヌやスズキ、ハゼなど海魚ごくたまにサメまでもが迷い込むそうだが、今は一匹も魚影を見ないし釣り人もいない。すると間もなく川が分かれるところに差しかかり、左へと分流する方は「久茂地川」と呼ばれ、2キロ程で国場川と合流するので運河みたいなものだ。ついでにいえばまだ海が奥まで入り込んでいた昔、この辺りからゆいレール美栄橋駅付近まで長虹堤という堤防が築かれ、それが浮島だった那覇を陸地化させるきっかけとなったらしい。
 この分流点の右岸には立派な石組みの廃墟がある。バス停に「崇元寺」とあり、あとでゆたかはじめ著『沖縄の鉄道と旅をする《ケイビン・ゆいレール・LRT》』を見てみたらここは臨済宗崇元寺の跡で、しかも戦前は寺の前を路面電車が走っていたし、近くに電車の車庫もあったという。……それはともかく、Nさんとわたしが揃って驚きの声を上げたのは、アーチ型の見事な石門を入って目の前にガジュマルの巨木を目にした時である。広い敷地いっぱいに枝を拡げ、葉はびっしりと茂り、気根がまた逞しくて、ゆるぎない存在感。惚れ惚れする姿だ。まるでこのあたりの守り神とでも見なしたくなるような、なんというかオーラを漂わせていて実に頼もしい。木陰には母子連れが遊びにきていた。子どもたちはガジュマルの枝にとりついて遊んでいた。
 そこからまたしばらく川沿いを辿ると、目の前のビルの間から船が見えた。流れのカーブが右にややきつくなった頃には橋が現れ、橋の向こうは青い海原。船が浮かび、鳥が舞う。二人とも思わず「やったー!」。地図で確認すると、泊漁港である。河口に架かる泊高橋の際に碑が建てられている。「泊高橋になんじゃじふぁ落とち/いちか/夜ぬ明きて/とめてさすら」……橋から大切な銀簪を落としてしまった、夜が明けたら探し出せるだろうかなあ、といったほどの意味のようだ。若い女がきっとこの橋で逢引きでもしていたのか知れぬが、今いち背景がつかめぬ一節だ。
 歩き出してから1時間余。わたしたちは、海辺でしばらくはジュースをおいしく飲みのみ、語り合い、休憩したのだった。
 
 
 
写真①ゆいレール牧志駅から見下ろした風景

▲牧志駅から見下ろした風景。細長く流れるのが安里川。手前が上流で、画面上の方に流れて行くので、その先に海があるわけである。河口までの距離は1キロちょっとしかなかろう

 
 
写真②崇元寺跡

▲崇元寺跡。アーチ型の三連の石門が見事だ。敷地内にこんもりと盛り上がっているのがガジュマルである

 
 
写真③ガジュマルの木

▲ガジュマルの木。樹齢どのくらいあるのだろうか。敷地内に入ってからこの木の全体を写そうとしたが、なかなかうまく行かない。それほどに大きい

 
 
写真④子どもたち

▲子どもたち。勇ましく気根にとりついて上へ登ろうとしている子もいれば、手前の子は何か枝のようなものをいじっている。ガジュマルの木は彼等にとって良い遊び場になっているのだという

 
 
写真⑤泊高橋からの眺め

▲泊高橋から眺めた風景。あたり一帯が港である。向こうの方に海をまたいで架かっているのは波之上臨海道路の泊大橋