前山 光則
3月13日は、安里川河口で休憩した後、牧志の公設市場へ行って昼食をとった。同行してくれた若い女性Nさんは、ここは初めてだという。それならば、ほら、新鮮な魚介類やフルーツ類や何やらを売る店がたくさんあるでしょ。働いている人たちが威勢良くて、飾り気がなくて、まったくここは活力を分けてもらえる場所ですよ、とついつい力説してしまった。シャコ貝を買ったら、魚屋さんがわたしたちを二階の食堂へ連れて行ってくれた。店の人に手渡して、しばらくすると刺身が出て来た。シャコ貝の白い身はほの甘くて、とてもおいしい。泡盛でも呑みたいが、我慢、ガマン。刺身の後はソーキソバを食べた。灰汁をつかって練った麺が素朴で、カツオ出しの汁も飽きがこない。トッピングのソーキは豚のあばら骨の部分だが、それをじっくり煮込んであってホロリと柔らかく、甘い。このソーキソバを三泊四日の那覇滞在中に合計4回も食したから、我ながら好物である。
午後はゆいレール牧志駅前で那覇市在住エッセイストのゆたかはじめ(本名、石田穣一)氏と待ち合わせて、近くのホテルのロビーでお話を伺った。旅へ出る前にゆたか氏の著書『広田弘毅の笑顔とともに《私が生きた昭和》』『汽車ぽっぽ判事の鉄道と戦争』(いずれも弦書房)を読んで惹きつけられ、面会を申し出たのだが、まず88歳とは思えない立ち居振る舞いだけでも敬意を抱いた。ゆたか氏は裁判官として在職中の昭和52年1月22日には当時の国鉄全線をすべて乗ってしまっているほどの鉄道愛好家である。わたしが熊本県八代市から来たというので「八代駅前で売っていた天然鮎の塩焼きは、最高においしかったですよ」と話題にされるのは、さすがだ。また那覇市には現在ゆいレール(沖縄都市モノレール線)が運行しているが、ゆたか氏によれば「あれは観光客にはとても良い」、那覇市内の要所に駅が設けられ、高いところを走るので景色を眺められる。「しかし、市民はあまり利用しない」のだそうだ。戦後、アメリカ軍が進駐して来て以来、車社会が押し寄せて市民もすぐに乗用車を使いたがるようになり、車の渋滞が激しい。モノレールや地下鉄などよりも手軽に造れて公害もない簡便な次世代型路面電車LRTを普及させる必要がある、というのがゆたか氏の持論である。なるほど、と深く頷いたのであった。
ゆたか氏から著書『沖縄の鉄道と旅をする《ケイビン・ゆいレール・LRT》』(沖縄タイムス社)をいただいたので、さっそく読ませてもらった。沖縄県には、戦前、軽便鉄道や路面電車が縦横に通じて県民の足として機能していたが、戦争によってすべて破壊されてしまった。沖縄で鉄道を語ることは、即、戦争に思いをいたすことなのだ。沖縄に現代型の路面電車が実現することを願わざるを得ない、との思いが籠もる貴重な一冊であった。