第255回 安里川を溯る

前山 光則

 3月14日の朝、小雨がパラつくが、ええい、かまうものか。一人で安里川を上流へと辿ってみた。レンタサイクル店で電動アシスト自転車を借り、午前10時半頃からゆいレール牧志駅前を出発したのである。
 この安里川、牧志駅付近では完全に都会の河川だが、ちょっと進んだらすぐに渓流と化した。水がゴンゴンと勢いよく躍って岩を噛むが、でもまだ周囲は全くの市街で、上方をゆいレールが走行する。渓谷であると同時に都会の住宅地でもあるという、ヘンテコリンな景観だ。故・島尾敏雄氏が紀行風エッセイ「安里川溯行」(「海燕」昭和60年9月号)の中で「都会の喧噪の中を流れているにも拘らず、私はあの大峰山中の渓谷での危険と接した顔付きを見たようにも思えた」と書いている通りの展開だ。実は、このエッセイを読んで安里川を辿ってみたくなったのである。そうするうち、道は川から離れて狭い迷路に入り込む。川の方へ近づこうとしても、行き止まり。この繰り返しである。「安里川溯行」は、当時、毎年冬には那覇の大道界隈に家を借りて過ごしていた島尾氏が、ある時この川を溯るという試みに挑戦してみた、その時の様子がレポートされているのだが、氏は那覇の市街地の特徴を「ラビリンス」つまり迷路とみなしている。那覇の街の成立過程に関わる指摘である。そう、これはまたなんという変化に富んだ街だろう。しばらくは水神の小祠に出くわしたり民家の敷地に迷い込んだりして苦労したものの、自転車は小回りが利くから助かる。めげずにガンバッタのであった。
 松川二丁目で川が二手に分かれていて、右の方の流れを辿ると目の前に堰堤が現れ、金城ダムである。堤高19メートルの治水用のこのダムは城壁が静かに横たわっている印象がある。ダム湖は上にももう一つ造られており、全長7キロしかないのにこんなふうに丁寧な治水策が施されるのだから安里川は相当に暴れ川だ。雨はもう止んでいた。近くの草叢には「ハブに注意」との写真入り注意書きが立っている。鳥の声があちこちに聞こえる。
 ダムから上は側溝みたいな小川となった。水源とされる弁ヶ岳までさほど遠くないだろうが、もういい。ハンドルを右に切って広い道路に出てペダルを漕ぐうち分水嶺を越え、正午頃に首里城ゆかりの識名園の前に出た。識名園には水が湧いていた。ここらはもう国場川の水系に入るが、近くの首里城でさえ標高120メートル程度しかなかろうに、きれいな水が豊かに湧出し、小魚たちが気持ちよさそうに泳いでいる。覗き込んでみたら、水底に大きなダクマ(手長蝦)がゆっくりと蠢いていたので目を見張った。ダクマが多く棲息するのは淡水と潮水とが混じり合う汽水域であり、湧水地で目にしたのはまるで初めてだ。よくぞここまでがんばって溯って来たよなあ、と握手してやりたいくらいであった。
 
 
 
写真①安里二丁目の安里川

▲安里二丁目の安里川。ゆいレール牧志駅と安里駅との間、国道330号線に架かる姫百合橋より少しだけ下流である。このあたりはまだ市街のど真ん中といってよい一帯だが、川の流れ方は御覧の通り渓流の様相だ

 
 
写真②水神様

▲水神様。松川二丁目と三丁目の間、松川橋近くで見かけた。旧松川村(マチガームラ)の時代から流域住民に尊崇されてきたようである

 
 
写真③金城橋から眺めた安里川

▲金城橋(カナグスクバシ)からの安里川の眺め。繁多川四丁目。もうずいぶん上流へ来ているのだが、さっきの渓流的な感じが消えてむしろ普通の小川といった趣きである

 
 
写真④金城ダム

▲金城ダム。このあたりで標高は52メートルだそうだ。たいしたことないわけだが、街なかから自転車で辿ってくるとずいぶんな山奥に迷い込んだという印象だ。首里城は画面の左の上の方に位置し、標高120数メートル。安里川の水源である鳥堀町の弁ヶ岳は162メートル。つまり首里の丘陵は那覇市の水源涵養地帯ということになる

 
 
写真⑤識名園の湧水

▲識名園の湧水。右と左の両方で水が豊富に湧き出ている。写真を見ただけでは分からないが、右側の方は「ゴボゴボ」と音がするくらい湧出が盛んである。ダクマ(手長蝦)は左の池の水底にいた