前山 光則
宮本常一記念館でこの篤実な民俗学者の撮った写真を見せてもらって、思い浮かべたのはわが八代市在住の麦島勝氏のことである。
麦島氏の写真は庶民の生活風景をよく捉えており、時代の記録として貴重なものだというのでファンが多い。宮本常一の撮った写真も強い記録性があり、この2人はずいぶんと似ているようだな、と思っていた。事実、同じような感想を色んな人から聞いたことがある。だが、みっちり宮本常一の撮ったものを見せてもらった結果、共通点と同時に双方の違いも自ずと表れていたような気がする。
麦島勝氏が撮っているのは、何気ない日常の中の、何ということもないような表情や仕草や行為である。被写体は、カメラを向けられても構えていない。そうした時、多分、氏はシャッターを切っていたものと思える。だから目立ったものは写されていないので、単なるスナップ写真のようである。ところが、月日が経つうちにその1枚、1枚がその時代ならではの景色・場面として痛感され、凄みを帯びてくるのである。そしてそれは作品である。作品であると同時に「記録」である。
一方、宮本常一の場合、やはりあくまでも研究のための備忘録の意味が強い。つまり、聞き書きしたことを文字で書き記すだけでなく、それを補うものとしてまめに写真に収めておく。その際、人間や生活器具や家屋やら色々のものが被写体となるが、あくまでも研究が主である。人間が何気ない瞬間にどういう仕草や表情をするのか、宮本の場合は二義的なものだったろうと思われる。ただ、基本的にこの人の視線はあたたかい。こうした違いが、たくさんの写真群から浮き出てくる。
宮本常一記念館を見学した時つきあってくれたみずのわ出版の柳原一徳氏は、21日のわたしたちの泊まる場所として民宿も紹介してくれた。実は、5年前の夏、この連載コラム「本のある生活」第60回に登場した「客人K氏」とは彼のことである。当時まだ神戸市に住んでいたが、そのすぐ後に、郷里の周防大島へ活動の場を移した。そして今も出版業・写真館営業を続けているが、都会から離れた島の中ではたいへんな困難がつきまとうはず。ところが、柳原氏は、21日の夜に子どもさんと共に民宿へ遊びに来てくれた際、「明日、島を出るんでしょ? 蜜柑を採って、持って行かないですか」と言ってくれた。彼は蜜柑栽培までも手がけているのだそうだ。
ご好意に甘えて、翌22日、蜜柑畑に連れて行ってもらった。そこは小高い山の麓にあたる部分だが、木々はいかにも手入れが行き届いているふうで、蜜柑がたわわに実っている。柳原氏にやり方を教えてもらいながら、晴れた空の下で約1時間、まことに愉しい蜜柑狩りであった。柳原氏は、蜜柑をわたしたちの車に積み込んでくれた。これはなによりの周防大島土産となった。
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今年のコラム「本のある生活」は、これにて終了。皆様よい年をお迎えください。