前山 光則
めでたさも一茶位や雑煮餅 正岡子規
明けましておめでとうございます。
なんでまた最初に正岡子規の俳句を置いたかといえば、これは小林一茶が「目出度さもちう位也おらが春」と詠んだのを踏まえてあるに違いなく、その場合「ちう位」(中位)はわりとマイナスの意味合いがある。子規はこの句を明治31年の正月に詠んでいるが、病いが進みつつあって、たいしてめでたさの感じられない気分であったはず。この点が、まず、昨年地震に悩まされた立場で見てわが身にも似つかわしく思えるからである。そして、もう一つ、実は近々、地元の図書館講座で夏目漱石についてレクチャーをせねばならず、ついては漱石と交友の深かった正岡子規のことも知っておきたくて高浜虚子選による文庫本『子規句集』を開いてみた。パラパラと拾い読みするうちに、うん、面白い。そう、だから今わりとまめに子規を読んでいるのである。それで引いてみた。
明治二十一年から二十四年までの作品は、「梅雨晴やところどころに蟻の道」「祇園清水冬枯もなし東山」というふうで、さほど特徴が感じられない。だが、明治二十五年の「蝶々や順礼の子のおくれがち」「五月雨やけふも上野を見てくらす」「蠅憎し打つ気になればよりつかず」、こうした句になると常套的な措辞から実を剥がして、自分なりの感じ方や考えを生かす方向を身につけつつあるように思える。そして明治二十六年には、
毎年よ彼岸の入(いり)に寒いのは
みちのくへ涼みに行くや下駄はいて
蕣(あさがお)や君いかめしき文学士
「毎年よ……」は、子規の母親の喋ったことばがそのまま五七五となったそうだが、それを俳句として受け止めるところに柔軟な精神が息づいている。「みちのくへ……」は、下駄を履いて東北地方へ出かけるのである。さわやかな気概が溢れているではないか。三句目は親友・夏目漱石が来訪した折りの句だそうで、ほほえましい。
さらに、明治二十七年から亡くなる三十五年までの作品には名吟がたくさんある。
行く我にとゞまる汝(なれ)に秋二つ
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
いくたびも雪の深さを尋ねけり
樽柿を握るところを写生かな
五月雨や上野の山も見飽きたり
柿食ふも今年ばかりと思ひけり
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
をとゝひの糸瓜の水も取らざりき
それまでの作品と比べて、ぐんと風格がでてきている。柿の句が多いようにこの人は食いしん坊であるが、それはまた生きる意欲のひたむきな表れでもあった。ちなみに、一句目は漱石に宛てて詠んだのだという。そして最後の三句は絶筆とされる。自らの死を覚悟しつつ、エネルギーを絞り出して句を詠んだかと思うと、健気さ懸命さにうたれてしまう。
――ともあれ、本年もよろしくご愛読お願いいたします。