第296回 小鹿田の里にて

前山 光則

 4月22日は、朝の8時前には杖立温泉を発って大分県日田市へ出た。そして日田で、友人のI氏と共に作家・河津武俊氏と会った。河津氏の『肥後細川藩幕末秘聞』(弦書房)の文庫版が出来上がったばかりとのことで、若葉繁る石井里山公園のカフェでコーヒーを飲みながら本を見せてもらったのである。幕末の小国地方に起きた集団惨殺事件の謎を解こうという、たいへん興味深い力作だ。瀟洒なデザインの表紙も、仕上がり上々。わたしは巻末の解説執筆を担当したので、本作りのお手伝いをして良かったな、と思った。
 帰りがけ、I氏が「町なかに小鹿田(おんた)焼を売ってある店はないですかね」というので、ああ、それならば小鹿田の里はわりと近いので直接行くと愉しいし、安い。どうせなら一緒に行こう、と即座に決まった。日田市内から北の耶馬溪方面へしばらく車を走らせ、やがて左へ折れる道がある。川沿いに谷へ入ってしばらく行けば小鹿田の里があって、現在、10軒の窯元が存在する。谷は若葉がきれいで、日に照らされていた。水車が何カ所かに設けられ、それが唐臼を動かす。コトン、コトンとのんびりした音だ。これは、裏山で採れるという陶土を精製するためのものなのだそうだ。ブラリブラリと見てまわったが、日田市内の土産品店で売られているのよりもだいぶん安い値段である。そして飛び鉋とか刷毛目、長し掛けといった技法を使っての模様が単純・素朴で親しみが持てる。
 10軒のうち、気ままに5軒か6軒ほど入ってみたろうか。最後の窯元に立ち寄って1ヶの湯飲みを手に取った時、大きくも小さくもない、スルリと素直に掌に納まってくれる感じがとても良かった。色合いも派手でなくて、気持ちいい茶碗だな、と思う。気に入ったので買うことにした。1ヶ1100円。高いのか安いのか分からないが、I氏もわたしが選んだ近くに飾ってあった湯飲みを気に入ったふうで、買い求めた。「ここらに置いてあるのは、ここの人の快心の作ではないだろうか」と、互いに意見が一致したのだった。
 この小鹿田の里には谷川の畔りに1軒だけ「山のそば茶屋」という名の食堂があって、手打ちの「地鶏蕎麦」が食べられる。入って行くと、客はわたしたちだけ。ゆっくり過ごすことができた。蕎麦は混じりものなしの手打ち麺で、10センチ程度にブツブツ切れているが、実にうまい。地鶏が歯応え良くて、味が濃い。地鶏はまたスープの味にもコクを与えてくれていた。こんなおいしい蕎麦は久しぶりであった。茶請けに蕎麦かりんとうが出たのもなかなかのもので、手打ち麺をさっき店で揚げたばかりとのこと。塩味が利いており、摘まんでみたら止められぬ。生ビールを飲む人にはこの上ないツマミとなろう。
 桃源郷に来たような時間を過ごしているなあ、と、茶を啜りながら思ったことであった。
 
 
 
①これより小鹿田焼の里

▲これより小鹿田焼の里。道路の右側に窯元が並ぶ。左側には川が流れており、川っぷちに食堂「山のそば茶屋」があって、手打ち麺の地鶏蕎麦が食べられる。蕎麦の他にはうどん、丼もの、定食などあり

 
 
②唐臼がカタンコトンと

▲唐臼がカタンコトンと。これが全部で何基あったろうか。のどかな音が谷の中に響いて、心地よかった

 
 
③ある窯元

▲ある窯元。ちょうどその日は天気が良くて、庭先に素焼きの製品が並べて干してあった

 
 
④地鶏蕎麦

▲地鶏蕎麦。何杯でも食べたくなる、良い味の蕎麦である