第337回 一緒に悶え、加勢する

前山 光則

 今年は水俣病が公式認定されて50周年だそうである。そのような折り、永野三智著『みな、やっとの思いで坂をのぼる《水俣病患者相談のいま》』(ころから、http://korocolor.com/book/minasaka.html …)という本が出て、感心して読んだ。この人は1983年(昭和58)水俣市生まれだから、まだ若い。2008年(平成20)に一般財団法人水俣病センター相思社の職員になって以来、患者相談窓口や茶・りんごの販売をやっているのだという。読んでみると、患者さんたちの症状そのものの生々しさや、それを長い間他人どころか親戚等の近しい者にすら打ち明けられなかった、患者申請してずっと拒否されつづけてきたつらさ等々、事例の多さ複雑さに驚かされる。しかも、著者の計算では認定患者は「全体の患者のわずか1%」なのだそうだ。
 感想はすでに西日本新聞の書評欄で述べておいた。
 わたしは、この本の著者の患者相談に対する基本姿勢がとても好ましく思われた。著者は相談窓口に来た人に丁寧に親身になって話しを聞いてあげているわけだが、実は小学生の頃に痛切な経験をしており、胎児性患者の女性の動きを男の子たちが真似る。「ほら、お前らも真似せんや」とそそのかされ、みんながそうするのでとうとう自分も真似をしてしまった。すると、その女性はそれを見た瞬間に「地面に崩れ、大きく嗚咽(おえつ)し始めた」のだという。無論、その後深く深く反省し、女性に謝る。著者はこうした自身の過去の誤(あやま)ちを忘れないので、現在患者さんたちの話しを聞いてやる際に本当にその人の身になって話しを聞いてやることができるわけだ。
 それから、もうひとつ、今年2月に亡くなられた石牟礼道子さんから励まされていた。石牟礼さんは著者が書いたものに目を通してくれ、「大切なものを見失わないようにしてください。今まで書いてきて、辛かったんですよ私も。ラクラクと書いたわけではないんです。あなたと出会って、感謝しているんですよ」と言ってくれたそうだ。著者は患者相談窓口の仕事をし始めて、自分がどの程度のことができるのか悩んだ時期があるのだが、その際、石牟礼さんは「悶え加勢すれば良かとです」とアドバイスしてくれたという。石牟礼さんによれば「むかし水俣ではよくありました。苦しんでいる人がいるとき、その人の家の前を行ったり来たり。ただ一緒に苦しむだけで、その人はすこぉし楽になる」。以来、著者はとにかく相談しに来た人たちに寄り添って行こう、と決めた。そう、水俣病の人と一緒に悶え、加勢する――この本にはこうした覚悟がしっかり表れているのである。
 石牟礼さんの「悶え加勢すれば良かとです」は、水俣地方の昔からの方言「悶え神」を想起させる。傍に苦しみ悩む人がいれば、その人の身になって苦しみ、悩み、悶える――そういう人間への尊称として「悶え神」という語がある。考えてみれば、『苦海浄土』をはじめとする石牟礼さんのたくさんの著作は「苦しんでいる人がいるとき、その人の家の前を行ったり来たり。ただ一緒に苦しむ」、この「悶え」精神で貫かれているのではないだろうか。永野三智さんの『みな、やっとの思いで坂をのぼる《水俣病患者相談のいま》』も、石牟礼さんのこうした精神を受け継いでいるのだと思う。水俣には若手が立派に育ちつつあるのだ。
 
 
 

▲桜の帰り花。秋が深まりつつあるなあ、と思う。山へ入ってみたら、桜の帰り花が見られた。良い天気だから、桜も勘違いしたのだなあ