第374回 コメントを求められて

前山光則

 今月に入って間もない頃、ある新聞社から電話が入り、作家・村上春樹氏がノーベル文学賞候補に上っている、もし受賞と決まった場合すぐに報道せねばならないので、あらかじめ村上氏の受賞についてどう思うかのコメントが欲しい、とのこと。実は、その新聞社からは去年もそれを頼まれたのであった。連絡してきたのは別のYさんという人であったが、とにかく一言欲しい、との依頼だった。だから、即座に「おめでとうございます。日本文学が世界に認められるのは良いことです」とコメントさせてもらった。今回も、連絡してきた人にはまったく同じような言い方で答えた。
 それにしても、である。日本国内には名のある作家やら評論家やら詩人たちやらが沢山いらっしゃるだろうに、なんでまたわたしごとき無名のもの書きというか、ボーッとした田舎老人にコメントを求めなくてはならぬのであろう。去年電話してきたYさんにそれを言ったら、
「いや、実は、ですね。正直、色んな方々にお願いしたのですが、ところが、ですよ」
 と、途端に愚痴っぽい口調になった。
「ところが、皆さんコメントを拒否なさるわけです」
 だから、Yさんは困り果てたらしい。でも、どうにかしたいので、悩み、考えたあげく熊本県八代在のわたしに電話を入れた、というわけであった。事情を聴かされて、これはとてもとても不思議なことだな、とため息つくしかなかった。村上春樹って、日本のプロのもの書きたちの間ではそんなにも嫌われているのであろうか?
 といっても、ではお前は村上春樹の書いているものを愛好するか、と問われたら、実は、ちっとも関心がない。『ノルウェーの森』やら何やら何作も読んだことがあるが、軽い読み物で気楽に愉しめるものの、そこから何か格別の刺激や影響を受けることはなかった。同時代の作家で言えば、もう亡くなって久しいが中上健次や立松和平などの方がはるかに面白いし、同世代としての共感だけでない文学者としての存在感があった。他にも島尾敏雄やら小川国夫やら石牟礼道子等々といったふうで、名を挙げれば切りもないほどに優れた作家がいるので、村上春樹のことなど日頃はまったく忘れてしまっている。
 しかし、それがもしノーベル文学賞に輝くとしたら、それはそれでおめでたいことではなかろうか。よその国の人たちがどの程度日本の文学者の書いたものを読んでくれているか、まったく知らない。しかし、少なくとも村上春樹の作品は英語などに翻訳され、広く世界に出回っているようである。日本語という言語は、他の英語やらフランス語やらと比べて複雑で、翻訳しにくいのではなかろうか、と思う。そんな中、村上作品は親しみやすいのではなかろうか。ノーベル文学賞の選考対象としても目につきやすいだろう。それに対して賞が与えられるというのならば、それはそれでめでたいことだ。祝福してやらぬというのがおかしい、そうではなかろうか。去年Yさんが電話して来た時は、「おめでとうございます。日本文学が世界に認められるのは良いことです」とのコメントだけでなく、そのような思いをも付け加えておいたのであった。今回同じ新聞社から電話してくれた別の人に対しても、まったく同じことを喋るしかなかったのであった。
 いや、実は正確ではない。今回はさらにもう少し長話をした。それは、村上春樹が熊本方面を旅した紀行文は結構面白かったので、どんな点が印象に残っているか、感想を述べてみた。この紀行文は「CREA」の平成27年(2015)9月号に「熊本旅行記」と題して掲載され、同年11月に刊行された紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか』の中に「漱石からくまモンまで」と改題して収録されている。
 村上春樹が熊本を訪れたのは、熊本に住む知り合いと会うためだったという。梅雨季で、毎日雨が降ったそうだ。まず、熊本市内に橙(だいだい)書店というユニークな本屋さんがあるが、その店の中で少人数の客たちを前にして自作の短編小説を朗読した。それから、夏目漱石が住んでいた家を見学する。あるいは、雨が降らない日にランニングも楽しんだそうだ。
 旅はさらに続く。県北の荒尾市に足を伸ばして、万田坑という炭坑跡を見学する。かと思うと、熊本駅からSLに乗り込んで県南の人吉にまで出かけて、老舗の上村うなぎ屋で鰻を食べる。ここは評判の店で、いつも行列ができてしまうほどである。さらにまた海岸の方に廻って、水俣市の北隣り津奈木町にも行く。海の上に突き出た赤崎小学校跡が、そこにはある。そして、八代市の日奈久温泉では木造三階建ての老舗旅館に泊まって寛いでいる。さらに八代市内の町なかに入り込んで、歌手・八代亜紀が少女時代に年齢を偽ってステージに立っていたという伝説のキャバレー「白馬(はくば)」をも見学するから、この作家はやはり好奇心旺盛だ。のみならず、「白馬」のすぐ近くには「ラジオクロネコ」という電器店があるのだが、作家はそこも訪ねており、かなりマニアックだ。それというのも、その店の親父さんはすでに90歳を超えているが、たいへん素晴らしい感性と技術を持った人で、オーディオ・マニアの間では伝説的な存在である。わたしなどそうした分野には疎い人間だが、それでもこの親父さんの大ファンだ。そうした人が存在すると知れば、遮二無二会いに行く。こうした好奇心のたくましさは、さすが作家魂である。実際、森さんの手がけたスピーカーから出る音は実に良いのだ。作家はこの森親子に会い、しっかりとオーディオ談義をやっている。
 それからは、八代駅で鮎屋三代と名づけられた鮎弁当を買って九州横断急行に乗る。阿蘇へ行ったのである。まことに精力的に熊本県内を巡ったことになる。
 最後に、熊本県人たちが愛して止まない「くまモン」について触れてあるのだが、村上春樹はこのゆるキャラに対してどうも好意的でない。

  僕が熊本県庁を訪れて、くまモン担当者の方と話をして、ひとつひしひしと感じたの は、くまモンという人為的に「作られた」存在は、そのクリエーターや、あるいは熊本 県庁「商工観光労働部・観光経済交流局・くまもとブランド推進課」の思惑やコントロールを既に離れて、どんどん勝手に一人歩きしてしまっているみたいだなということだった。まるで伝説の「巨人ゴーレム」みたいに。おそらく誰にももうその歩みを止めることはできないし、進む方向を変更させることもできないのではないか。そしてそれは進んでいく道筋のあちこちに「経済効果」という、もうひとつわけのわからない「何か」をひらひらと振りまいていくのだろう。

 このように論評し、くまモンは今、元気に猛烈に増殖を続けているが、そうすればするほどそれは、熊本県という本来のルーツ、土壌からますます遠ざかってゆくだろう、と警告している。そう、つまり、愉しい旅を続けながら、一方でこの村上春樹という作家は冷徹な眼で地方の現況を透視しようとしている。くまモンを見ると、わたしなぞはただ単に頬を緩めてしまうだけだが、この人は違う。なにもそんなに難しく考えずに、くまモンのかわいさを愛好すれば良さそうなものなのに、そうはしないのである。村上春樹の小説作品に関心を抱いたことは今までないが、今度エッセイを読んでみてこうした点には少々興味が湧いた。
 と、まあ、新聞社の人を相手にこんなふうなことを話題にし、電話で長話をした。まだ実際にはお会いしたこともない記者の方だが、気安くこちらの談話を聞いてくれた。だから、長電話はたいへん愉しいひとときとなった。
 今年のノーベル文学賞は、アメリカのルイーズ・グリュックという詩人に決まったそうだ。村上春樹はまたもや落選したのであり、まことに気の毒なことだ。
 
 
 

▲ はしゃいでるくまモン

 
 
 

▲ 温泉に浸かるくまモン

   
 
  

▲ 恋するくまモン?