第471回 気分は車寅次郎

前山光則
  
 この頃、本棚から『「男はつらいよ」寅さん読本』(寅さん倶楽部・編、PHP研究所・刊)という本を取り出して、パランパランと拾い読みをすることが多い。なかなかに愉しい時間だ。それというのも、四月からBS・7(テレ東)で土曜日の夜に映画「男はつらいよ」シリーズが放映されているからである。必ず観るようにしており、そして、番組が始まるちょっと前とか終了した後にパラパラとこの本を捲るわけだ。
 映画の舞台は東京都葛飾区柴又の、いわゆる「柴又帝釈天」の門前町である。あそこは東京都の東端であり、利根川の分流の一つ江戸川を挟んで千葉県市川市の国府台(こうのだい)と隣り合っている。柴又帝釈天は正式名を「題経寺」といって日蓮宗の寺院だが、この寺の参道には名物の草餅を製造・販売する店とか土産品店、川魚料理店等が軒を接して並び、まことに賑やかな界隈だ。料理店の中でも良く知られていたのが「川尋(かわじん)」で、江戸時代の後期からつづいてきたという老舗である。尾崎士郎の長編小説「人生劇場」にも登場するし、「男はつらいよ」の中でも何度か観ることができる。
 映画の主人公・車寅次郎は、草餅屋の倅である。若い頃にグレて家を飛び出した後の寅次郎は、テキ屋(的屋)稼業に明け暮れてなかなか帰って来ない。両親が早くに亡くなってからは、伯父夫妻が後を継いで店をやってくれている。すぐ近くに妹さくらが夫の博(ひろし)と一緒に住んでおり、店の手伝いをやっている。寅さんがたまにフラリと帰ってくれば、いつでも彼等から歓迎してもらえるのである。こうした環境に支えられている寅さんだから、テキ屋である自身の啖呵売(たんかばい)口上の中にも、

 わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、 人呼んでフーテンの寅と発します。以後、見苦しき面体御見知りおかれまして恐惶(きょうこう)万端引き立ってよろしくお頼申(たのもう)します。

 となるわけだ。実は、わたしは、学生時代、市川市の隣り船橋市本中山というところに1年余住んだことがある。総武線の下総中山駅のすぐ裏手、三畳一間というひどく狭い部屋に寝起きしていたが、なんとか暮らすことができた。銀座四丁目のシチュー料理店で食器洗いや出前持ちの仕事をし、夕方から法政大学の夜間部に通ったのである。そして、休みの日には国府台や柴又へ遊びに行っていた。 
 国府台の丘の上には、画家の山下清が子供の頃に生活したという八幡学園(やわた・がくえん)があったので、世間に知られていた。そして、江戸川を挟んだ対岸の柴又へ行くのには「矢切の渡し」と呼ばれる渡し場が今でもある。ここらは、伊藤左千夫の名作「野菊の墓」の舞台だ。あるいは、ちあきなおみが唱った演歌「矢切の渡し」で記憶する人もあるか知れない。そして、「男はつらいよ」が世に出てからは、映画の中に毎度登場するので、ますます有名になった。
『「男はつらいよ」寅さん読本』によれば,この寅さんシリーズの舞台は最初からすんなりと柴又に決定したわけではなかったのだそうだ。監督の山田洋次氏たちスタッフによって、浦安、深川、西新井といった場所も候補地として挙げられていた。浦安は千葉県の北西部、東京湾に面する市であり、山本周五郎の名作『青べか物語』の舞台として知られている。次いで、深川は東京都江東区。かつて木場として栄えた一帯である。そして西新井、ここは東京都足立区に属しており、江戸時代から総持寺(そうじじ、いわゆる西新井大師)の門前町として栄えてきた。 
 監督たちは、まず浦安へ行ってみたそうだ。ところが、 

しかしその場に着くなり、山田監督、ディレクターの小林氏、脚本家の稲垣氏は茫然として立ちすくむ のであった。なんと、そこはもう埋立地、小説の世界とはまるで違っていたのである。これはダメだとおもうやいなや、三人は急きょ江戸川を上流へとのぼっていくのであった。

 こんなふうであったそうだ。監督以下三人が「茫然としてたちすくむ」のは、実になるほどと同感できる。わたしなども、まだ千葉県船橋市本中山に住んでいた時分、『青べか物語』を読んで感動し、浦安一帯を観に行ってみたことがある。だが、すでにもうそこは「埋立地」であり、「小説の世界とはまるで違っていた」、そう、山本周五郎が描いた青べかが似合うようなところではなくなってしまっていた。まして、以後、ディズニーランドができたのだから、「男はつらいよ」の主舞台としては論外であろう。深川も、最早、木場としての風情はずいぶんと薄まってしまっていた。こうした一帯よりも、西新井であればまだしも西新井大師の門前町としての面目が辛うじて保たれており、よほどマシだったと言えるか知れない。
 山田監督は、スタッフに「ちょっと、柴又へ行ってみようか」と言った。それからが「柴又との運命的な出会い」となったのだそうだ。

 柴又は空襲に遭っておらず、古い町並みが残っていた。すぐ裏が江戸川で、昔ながらの狭い道路とのコントラストが絵になっていた。
 当時の柴又は、今よりずっとひなびた門前町で、周囲にはまだ畑も残っていた。帝釈天も今のように立派なものではなく、古めかしいお寺だった。
 東京都内の名所としては穴場中の穴場で、江戸川べりには金町まで桜並木が続いており、子供たちが草野球をやっていた。

 と、ま、東京都葛飾区柴又はこういうところなのであった。わたしなども、学生時代に友人たちと共に柴又へ行ってみた時、そこが東京都内だなどとは信じられなかった。千葉県側の国府台と同様、田舎臭さがたいへん親しみ深く感ぜられる一帯であり、すっかり魅せられてしまったのだった。そして、帝釈天にお詣りした後、参道の茶店に入って蓬(よもぎ)を練り込んだおいしい草団子を摘まんだり、川魚料理の店・川尋で昼食をとったりしてゆっくり遊んだ。鰻丼の値段がえらく高くて財布がスッカラカンになってしまったものの、なんだか充実感があった。川尋は、江戸時代後期から営業してきた老舗なのだという。惜しいことには令和3年(2021)に閉店したそうだ。
 「男はつらいよ」は、最初、フジテレビで放映された。そう、つまり、昭和43年(1968)の10月3日から翌年の3月27日まで、全26話だったのである。そして、最終回、奄美大島へハブを捕まえるために出かけた寅さん、ところがハブから噛まれてしまい、「痛え、痛え」と騒ぎながら最期を遂げるわけで、テレビ版「男はつらいよ」はなんとも悲惨な終わり方だった。そうしたら、反響が凄まじく、大変なことになった。
 もともと、このような筋書きについてはスタッフ内でも反対論があったのだという。

 山田監督が俳優たちに、最終回での寅さんの最期の模様を話したときのこと。皆そろって「そんなひどい話はない」と猛然と反対したそうで、なかでもさくら役の長山藍子さんなどは話を聞いただけで涙ぐんでしまい、リハーサルでは本当に涙をこぼしていた という。

そして、案の定、番組が終了したらすぐさま、「なぜ寅を殺したんだ」「殴りこみに行くぞ」などという抗議の電話が嵐のようにじゃんじゃんかかってきたそうだ。そのような熱い抗議の電話が、山田監督に「新しい原動力を与え」たので、これが後に映画版「男はつらいよ」誕生のきっかけとなったという。
 映画版は、第1作がテレビ版終了5ヶ月後の昭和44年(1969)8月に出来上がった。そして、次々に続編が製作されて行き、第49作が1997年(平成9)11月22日「男はつらいよ寅次郎ハイビスカスの花特別編」である。そして、2019年(令和元)12月には「男はつらいよお帰り寅さん」が作られたので、映画版は全部で50作ということになる。シリーズ物がこのように50作も製作されるというのは、珍しいのではないだろうか。そう、「男はつらいよ」は国民からしっかり慕われた映画だと言えよう。

一 どうせおいらはやくざな兄貴
  わかっちゃいるんだ妹よ
  いつかお前の喜ぶような
  偉い兄貴になりたくて
  奮斗努力の甲斐もなく
  今日も涙の今日も涙の陽が落ちる
  陽が落ちる

二 どぶに落ちても根のある奴は
  いつかは蓮(はちす)の花と咲く
  意地は張っても心の中じゃ
  泣いているんだ兄ちゃんは
  目方で男が売れるなら
  こんな苦労もこんな苦労もかけまいに
  かけまいに

  男というもの辛いもの
  顔で笑って顔で笑って
  腹で泣く腹で泣く

 映画「男はつらいよ」の主題歌である。作詞・星野哲郞、作曲・山本直純、歌うのは、言うまでもなく寅さん役の渥美清であった。なかなかに良い声であり、聴く者にジンジンと「フーテンの寅」の面目が伝わってくる。歌詞全部を暗唱しているファンは、きっと多いはず。無論、わたしなどもそうだ。とりわけ、歌詞2番「目方で男が売れるなら/こんな苦労もこんな苦労もかけまいに/かけまいに」には、否が応でもジーンと共感させられてしまうのではないだろうか。
 それにしても、寅さんは毎度美女に恋をして、あっけなくフラれてしまうのだが、5月16日の第6作「男はつらいよ・純情篇」のマドンナは若尾文子であった。そして、5月23日の第7作「男はつらいよ・奮闘篇」では榊原るみ。中学を卒業したばかりの、あどけない娘という設定だった。これは失恋というよりも学校の先生が迎えに来てくれて、呆気なく故郷へ帰って行くのだった。寅さんはいつも見送る立場である。そして、5月30日の第8作「寅次郎恋歌」のマドンナは池内淳子。帝釈天の脇に開店した喫茶店のママさんなのであるが、これがまた大変な美人。離婚したばかりのようで、子連れ。寅さんはたちまちイカれてしまう。
 どの作も、マドンナは魅力いっぱいだ。
 ちなみに、この第8作までの「おいちゃん」役は森川信だった。これがまた絶妙の味わいである。
 そして、ついでに言えば、4月上旬からBS・7で「男はつらいよ」シリーズが始まった頃、わたしの親しい友人もテレビに観入っていたそうだ。
「そして、俺、な、一句ひねってみたよ」
と笑顔で言うから、どんなのを詠んだか教えてもらったところ、

 春宵や気分は車寅次郎

 こんな句であった。おう、フムフム、分かるよ。放映が始まった頃、確かにまだ春であった。そして、そうそう、寅さんシリーズに観入っていると、つい車寅次郎的な気分になってしまうのだよなあ。わたしは頷いてやるしかなかった。