第31回 騒ぐのは、なぜ?

前山 光則

 12月も半ばになって、押し迫ってきたなあと思う。クリスマスツリーが町のあちこちで見られるし、歳末大売り出しの宣伝チラシが回って来る。不景気とはいいながら忘年会の誘いがいくつかある。何日か前には博多から声がかかったので出かけていき、愉快に騒いだ。料理もうまかったし、カラオケがまたストレス解消にとっても良かった!
 今日は家でおとなしく原稿に取り組んでいる。そんなこんなで、年が暮れていくのだ。
 テレビをつけると、市川海老蔵の話題が賑やかである。喧嘩相手や弁護士も登場し、まだまだ騒ぎは続きそうな気配だが、なんだかピンと来ない。なぜこんなに問題にしなくてはいかんのか、誰か教えてほしいものだ。
 そう言えば、12月9日付け読売新聞に演劇評論家の犬丸治氏が「海老蔵の無期限謹慎」と題したコラムを発表していた。犬丸氏はこう書いている。
「時に、行き急ぐかに見える危うさ。花川戸助六、武蔵坊弁慶、そして光源氏ら劇中の人物を、我らが同時代人と思わせるほど、観客の心をわしづかみにする存在感。それが、私にかつて海老蔵襲名以前、『市川新之助論』を書かせた」
 今まで歌舞伎の世界に格別の興味を抱いたことがなかったが、ようやく気づかされる。犬丸氏は海老蔵がまだ市川新之助だった時分から高く評価し、わざわざ1冊の本を書いた。海老蔵って以前からたいへん魅力溢れる俳優で、人気があったのだ。華(はな)のある存在であるだけに、今回の騒動について犬丸氏は「実際にさや走ってしまっては、しゃれでは済まない。異才ゆえに、今回の愚行を心から惜しむ」と手厳しい。だが、これだけで異才をめぐる騒動の実体がつかめたとは言えない。犬丸氏は、歌舞伎座の改築に伴う一時的閉場に原因がある、と見ている。
「ハレの舞台としての歌舞伎座の閉場に惜別した人々の目が、今度は若手役者の私生活一挙一動に向けられる。それはすなわち、舞台で観客に『夢』を売る者が社会的存在だからだ」 
 だからこれは「起こるべくして起きた事件と言えまいか」と論評するのである。へえ、東京の銀座の歌舞伎座とそこの花形役者はそのようにも社会的に影響力を持つものなのだろうか。江戸情緒たっぷりの建物が老朽化し、惜しまれながらも立て直されることは知っていたし、自分でも格別な思いを抱いている。でもその惜別の気持ちが「今度は若手役者の私生活一挙一動に向けられる」となると、分からない。なんだか、ちょっと自分の想像力が届かないなあ。芝居好きの人たちや報道関係者だけが興味を持って追いかけているかのような印象が、どうしても拭いきれない。
 テレビ画面で海老蔵騒ぎを観ながら、首をかしげるばかりである。

▲博多の忘年会で出た料理の1つだ。生きたアワビや
ウチワエビ、豚肉、野菜等を焼いて、ポン酢・ウニ味噌の
タレをつけて食べるのだが、いや本当においしかった!

▲我が家の近くで見た光景。美人のサンタさんが、
店の裏の壁に何か字を書いていた