前山 光則
今日、暦の上では立春だそうである。そう言えば寒さもだいぶ緩んできた。
さて、ある友人から「君のコラムを読んでるが、よく食うよなあ」と言われた。で、この「本のある生活」を読み返してみたら、確かにしばしば食い物のことを書いている。
それで甦ってきたのが、6年前、K大学病院で約4ヶ月間入院生活を送った時のこと。抗癌剤点滴治療や放射線照射でさんざん苦しめられ、あげくにはバッサリ手術という、常に閻魔大王と対面しているような闘病の日々だった。薬の副作用で倦怠感に悩まされたり吐き気が続いたり、放射線照射により喉がひどい火傷状態になり、痺(しび)れ薬を飲んでからでないと食べ物が嚥下(えんげ)できない毎日だった。だが、なんと一度も病院の食事を食べ残さなかったのだ。時には空腹に耐えかねてひそかに病室を抜け出し、食堂でラーメンやらチャンポンやら食っていた。抗癌剤の副作用で胸がムカムカする時も、エエイと思い切って食べ物を呑み込んだら、不思議や、ウエッとならない。ナーンダ、嘔吐するのかと懼(おそ)れていたが、大丈夫だ。自信がつくのだった。そんなことをひさしぶりに思い出し、自分はどうしようもなく食い意地が張っているのだな、とあらためて自覚した。こういう人間を、わがふるさと熊本県人吉地方では「いやしんぼ」と呼ぶ。
さらに思い出すのが病院にいる時読んだ本のことだ。じっとしているとすぐに死の恐怖に苛(さいな)まれるから、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』や石牟礼道子著『天湖』、光岡明著『恋い明恵』等々、次から次に読みあさった。そして、いやしんぼを最も魅了したのが宇江敏勝著『炭焼日記』だった。紀伊半島にあって山林伐採の仕事に従事しながら作家活動を続けている人の書いた本だ。山での労働の話が具体的でとても興味深いのだが、食事の場面がまたひどくそそられた。たとえば、雨のふりつづく日の飯場での夕食。
「おかずはソーメン汁とアジの干物とタクアン。食器は碗も皿もブリキ製で、できたての汁を入れると、手に持てないくらい熱い」
あるいは、ある秋の日には、
「夕食のおかずは、鶏肉と白菜の煮付と大根葉の漬物。日本酒が品切れになったので、連中は手持ち無沙汰である。焼酎はまだ蓄えがあるが、それを飲むのは私だけだ」
ちっとも御馳走なんかでない、ありあわせのもの。でもその粗末な食事のことがこの作家によって綴られると、なんてうまそうに伝わることか。汗にまみれていちにち労働したあとの、体全体が欲する食べ物、飲み物。だからこそ著者の叙述は読む者を食欲の原点へと誘(いざな)ってくれるのだと思う。
―あとで友人には電話して、「なるべく食い物の話は控えることにする、けどね……」と歯切れ悪く答えたのだった。