前山 光則
毎月2回出演しているFMラジオ番組の中で川端康成についていろいろ紹介することになり、下調べのためまず「雪国」を読み返してみた。なかなかに面白く、アッという間に読了。この作品に初めて接したのは十代後半だったが、どこが良いのかピンとこなかったと記憶している。2度目に読んだのは何年前だったか。若い時と大違いでたいへん優れた作品だと感じ入ったものの、しっくりしない面もあった。作中の芸者駒子や葉子の描かれ方には惹かれたが、島村という男は存在感が薄くて首をかしげざるを得なかったのだ。
だが、今度は気にならなかった。島村は、どうも、駒子や葉子の引き立て役として考えればいいのではなかろうか。雪深い山里の美しさも女たちの立ち居振る舞い、さらには島村の行いや思考やらもすべて現実と非現実との間にあって、そこから読者を誘(いざな)っているかのように思え、不思議な気分であった。
ついでながら小説の特に後半には『北越雪譜』が援用してあるから、これも読み直してみようと思っている。『北越雪譜』は、「雪国」の舞台となった越後湯沢のすぐ近く塩沢(現在の南魚沼市)に住んで縮緬(ちりめん)問屋を営んだ鈴木牧之の労作である。江戸後期のあのあたりの雪国ならではの風物や庶民生活がつぶさに記録されており、感動的だ。
湯沢も塩沢も、一昨年の9月に訪れて歩いてみたのだ。だが季節柄まだ雪がなくて、北国独特の雰囲気を味わえなかったのが心残りだ。あそこにはまた雪のあるうちに訪れてみたいもんだ。ウム、ぜひ行ってみたい、などと考えたりして落ち着かなくなるのだった。でも、わたしなんかは南国にいるから安易に雪景色を夢想するが、このホームページのもうひとつの連載コラム「ヒロ爺の野菜畑」を覗いてみると、実にかわいそう。雪に悩まされっぱなしではないか。それから、京都府の日本海側には丹後半島があるが、あの半島のど真ん中の山中に大益牧雄という優れた木地師が一人住まいしている。材料の木を伐ったり乾燥させたり荒挽きしたりすることから始まって轆轤(ろくろ)等を用いて器の形を作る、漆を塗る等の面倒な作業をすべて自分でやっているのだが、その大益氏の話ではあのあたりも雪が深いそうだ。大晦日に電話してくれた時には、「今、雪に閉ざされていますよ。積雪60センチだ。さすがに人恋しくなりました」とぼやいていた。1月10日頃には、酔った声で「今日は、うん、2メートル40。いやいやあ、雪掻きもくたびれた」とまくしたてた。そして、昨夜こちらから電話したら「あはは、今日は3メートル積もってます」と笑い飛ばす口調。「エエッ…」、彼のたくましさに絶句してしまった。
だから、雪深い里を訪れたいなどとはヒロ爺氏や大益氏にはうっかり言えない。分かっている。分かってはいるのだが…。