前山 光則
11月12日(土曜)は、友人Y氏につきあってもらって車で鹿児島市へ出かけ、かごしま近代文学館で催されている「島尾敏雄展」を観た。「夢の中での日常」「出発は遂に訪れず」「死の棘」等、多くの作品を書いた作家の全生涯とその文学の軌跡を辿る企画で、たくさんの貴重な資料が展示されていた。展示物に付された説明も詳しく適切で、これは企画・準備に当たった人たちが島尾文学に精通しているからできるのだな、と感心した。改めて島尾氏の作品を読み直したくなった。 鹿児島から帰る途中、湧水町つまり昔の吉松町に寄り道をした。温泉好きなY氏に「スコットランド温泉」を味わせてやりたかったのだ。これはほんとの名は鶴丸温泉といって、その名の通りJR吉都線の鶴丸駅前にある。
Y氏は喜んでくれた。鶴丸温泉のひなびた建物、その目の前には小さな無人駅、これだけでも秘湯の趣きがある。入湯料はわずかの200円だ。そして、衣服を脱いで湯に浸かると、これがまた茶色に色づいた珍しいモール泉(珪藻類の泥炭層を通って湧いてくる湯)である。クレヨンのような、ありがたい匂いがする。こういうのは英国スコットランドを思わせるのだ。スコットランドは、どこもこうした茶色の水が泥炭層の中から湧き出てくる。だから、わたしは、鶴丸温泉を自分勝手に「スコットランド温泉」と呼ぶわけである。
Y氏とワイワイ騒いだり、土地の人たちに話しかけたりして長湯する内、ふと島尾敏雄氏の「湯船の春」というエッセイが思い出された。それは、島尾氏が奄美大島での生活を切り上げて鹿児島県指宿市へ移り住んだ頃のことを回想した文章だ。家の近くに「殿様湯」と呼ばれる温泉があって、島尾氏はそこへ浸かりに行くのを好んだ。湯舟の中で千昌夫の「北国の春」を口ずさむのが楽しいし、父祖の故郷である北国のことがツーンと恋しくなる、と書かれていたのである。戦時中の奄美加計呂麻(かけろま)島での特攻隊長としての日々や戦後の東京での生活、「死の棘」に書かれたような家庭の修羅等々を経ながらたどり着いた、指宿での平穏な日常。島尾文学と「北国の春」はいかにも不似合いな感じがするが、その不似合いなところがほほえましくて、心温まるエッセイであった。
内湯から出て、露天風呂の方にも浸かってみた。屋根のところに設置してあるスピーカーから、民謡がのどかに流れる。それを聴きながらあたりを見回したら、すぐそばに山茶花が咲いていた。湯を出て垣根の外を眺めると、そこは線路である。線路の向こうには、柿の木が1本、鈴生りの実が、みな赤く色づいていた。秋も深まったのだなあ。ここにはまた春先にでも浸かりに来たいものだ。
「さて、上がろうか」とY氏に声をかけたが、「うんにゃ、まだまだ」、湯に浸かったまま首を横に振った。よほどスコットランド温泉が気に入ったのだ。