第212回 元日、家にて

前山 光則

 恭賀新年。このコラムを読んでくださる方たちは、お正月をどう過ごされただろうか。
年末の選挙で現政権がまた安定多数を占めてしまい、野党がふがいないからこういうことになる、有権者もダメだ、などと腹立たしかった。もっとも、そう深刻に考えたわけでもなくて、すぐまた年越しの雑事に追われた。そして、家でおとなしく新年を迎えた。
 元日、昼近くまでぼんやり過ごしたが、家の者が鳥たちのために庭先のユスラウメの枝に蜜柑や干柿を突き刺してやったら早速一羽やって来た。蜜柑をつつく。二羽、三羽と増える。やがて、干柿の方へ移った。こちらの方が甘くておいしいのだろう。と、そこへヒヨドリが舞い下りて来て、これはメジロよりもずっと大きいのであたりの空気が一変した。メジロたちは逃げた。でもよくしたもので、ヒヨドリがひとしきり干柿を啄んでその場を去ると、またメジロたちが戻ってくる。ヒヨドリよりもメジロの方がかわゆいなあ。
 そんなヒマな時間を過ごした後、家族三人で近くの小さな神社へ初詣に行った。行ってみると、境内には誰もいない。社殿前にテントを張ってあり、早く来れば神官さんも巫女さんもいたのか知れないが、もう時間外だったのかな、と苦笑せざるを得なかった。
 夜は、NHK総合テレビの「鶴瓶の家族に乾杯」を愉しみにしていた。いつもは月曜日なのだが、お正月ということで特別番組だった。だが、家の者たちが他の番組を観たいと言いだして、ウーム、しかたないか。彼らにテレビを譲って、仕事場で少し調べ物を始めた。今年は詩人・淵上毛錢のことをまとめ上げたいのである。資料を見ていたら、終戦の翌年に書いた年賀状に行き当たった。

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 新年明けましてお目出度う存じます。
 神話と伝説の否定に発足した昭和二十一年 度に、かく慣習語を用ゆることは中々の勇気を要することを痛感します。

   裏みちの
     小まがり多き
         邪宗の町

 皆様のご健康をお祈りします。
                一月二日

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 こういう文面である。日本が敗戦という未曾有の事態を経験した後のお正月。病床にあった毛錢は、さぞかし複雑な心境であったろう。だから、新年のご挨拶をするのが本当のところ、「中々の勇気を要する」と記さざるを得なかったのだと思われる。これに比べたら、現在の日本、まだまだずっと平穏であるかなあ、と、ため息混じりに読んだのだった。
 なにはともあれ、こつこつ書いていこうと思う。今年もよろしくお願いいたします。
 
 
 
写真 干柿とメジロ

▲干柿とメジロ。ユスラウメの枝に乗って、今から啄(ついば)もうというわけである。この頃メジロは頻繁に庭へやってくる