第214回 蛍の光

前山 光則

 NHK総合テレビの朝の連続ドラマ「マッサン」には、よく「蛍の光」が出てくる。この歌の原曲はスコットランド民謡だ。スコットランドは主人公がウイスキー造りの修業をした地だし、奥さんもそこから連れて来ているためなにかとメロディーが流れるわけだ。
 この歌の訳詞には子どもの頃も成人してからもなじめなかった。第一「ふみよむつきひ、かさねつつ」、これが分からなかった。「ふみよ」と「むつきひ」に分かれていると思い込み、では「ふみよ」って何なのだ。誰かに呼びかけているのだろうか。「むつきひ」はどういうことだ。「いつしかとしも、すぎのとを/あけてぞけさはわかれゆく」になると、ちんぷんかんぷん。つまり歌詞の意味はまるで分からないまま、しかしメロディーの持つ雰囲気に酔って、うたっていた。ようやく理解できたのは教師になってからで、自分がこんな情けない状態のままではいかんゾと思ってひそかに勉強したからである。その結果、
 
  蛍の光 窓の雪
  書(ふみ)読む月日 重ねつつ
  いつしか年も すぎの戸を
  開けてぞ 今朝は別れ行く

 なーんだ、「ふみよ」「むつきひ」なんかではなく、つまり本を読んで学問に励む日々を重ねた、ということだ。年が過ぎたことと杉の戸を開けて出て行くことを掛けているなどとは、これは明治14年に文部省唱歌として使われはじめたらしいが、なかなか手の込んだうたいこみ方ではないか、と感心した。
 それからまた、スコットランドへ旅した折り、おもしろいと思ったことがある。あちらではこの民謡は、酒を呑む歌だからである。原題は「Auld lang Syne」、これは「久しい昔」といった程の意味だが、昔の友と久しぶりに会って懐かしい。思い出話をしながら共に酒を酌み交わそうじゃないか、といった内容の歌だ。作詞者は詩人ロバート・バーンズ。年始や結婚パーティー、誕生日などお祝い事のときにうたわれるので、卒業式のときの歌ではない。もっとも、卒業式もお祝いなのだから、これをうたっても別にトンチンカンなことにはならず、だから日本では卒業ソングとして根づいたに違いない。ただ、原曲ではとにかくみっちりと酒を酌み交わそうなどとうたうので、それと卒業式の厳粛な雰囲気とを比較すると可笑しくなってしまうのである。
 実は、教師になるまで「蛍の光」の歌詞の意味を理解できていなかったことについて、今まで他人には恥ずかしくて言えなかった。でも、先日ある賢そうなご婦人と喋っていて思いきり白状したところ、なんとその女の人も「あら、まあ、そんな意味でしたの?」、驚愕の眼差しだった。なんだ、この方も分からぬままだったのだ。ドッと気楽になった。
 
 
 
紫雲英

▲紫雲英(げんげ 別名、蓮華草)。まだ立春にもなっていないのに、近所の田の畦で紫雲英が咲いているのを見つけた。春が近づきつつあるなあ